児島ジーンズストリートとは
児島ジーンズストリートは、岡山県倉敷市児島味野(おかやまけんくらしきしこじまあじの)にある商店街だ。
日本ジーンズ発祥の地で、約400mの通りに地元ジーンズメーカーが軒を連ねている。
国産ジーンズの聖地・児島で注目を集める児島ジーンズストリート。「旧野﨑家住宅」から野﨑の記念碑までの約400mの通りに地元ジーンズメーカーが軒を連ねています。世界に誇る「ジャパンデニム」のオリジナリティー溢れるジーンズが購入できるとあって、最近では海外からも多くの観光客が訪れています。周辺にはジーンズ以外の魅力的なショップやカフェが揃っていて、1日中楽しめるエリアです。
岡山県倉敷市児島味野
086-441-9127
駐車場
2022年2月24日、この日は王子が岳に登山した。

そこから車で、児島ジーンズストリート駐車場にやってきた。
駐車場はとても広い駐車場の10台分が確保されている。















桃太郎ジーンズ
まず案内看板でルートを確認。
駐車場からすぐのところに、桃太郎ジーンズがある。
デニムと言う素材そのものを理解し、徹底的に探究した結果生まれるデニム。
その素材の良さを最大限に引き出す為に膨大な労働と時間とプライドを贅沢に注ぎ込んでジーンズを創る。
そこに仕上がるジーンズは、カジュアルとしてのリラックス感を醸し出しながら、「本物」として語れる服となる。
しかし、決して作品を作っているわけではありません。
流行に左右され、時代と共に消え去ってゆく服ではなく、永く着るほどに愛着が湧き手放せなくなる人生の相棒。
着る人が自然体で自分らしくいられる究極の日常着を提案しています。
本店入口。
国産ジーンズの歴史が書かれた看板。
店内撮影は自粛して、先に進む。
旧野﨑家住宅
旧野﨑家住宅(きゅうのざきけじゅうたく)まで歩いてきた。
旧野﨑家住宅は、塩田開発で財をなした塩田王、野﨑武左衛門(のざきぶざえもん)の邸宅だ。
野﨑家は製塩業と新田開発で財を成した野﨑武左衛門がその気宇に合わせて天保から嘉永年間に次々と築いていった邸宅です。
敷地面積約3000坪・建物延床面積1000坪あります。
190年前の建築で、国の重要文化財建造物に指定されている。
なんと敷地3000坪、建坪1000坪だそうだ(驚)
お雛様が飾られていた。
奥行きは驚きの42m。
「凄い」しか言っていないおじい。
縁側でくつろぐ「フリ」をするおじい(笑)
水琴窟まであった。
庭のコケも深い。
自宅に3つも茶室がある家は、初めて見た。
台所。
巨大雛人形。
ガイドツアーもあるようだ。
野﨑家別邸迨暇堂
外に出て、別邸に向かう。
この洋館が別邸だと思ったら、違っていた(汗;)
こちらが別邸。
圧倒される数の雛人形が飾られている。
それぞれ個性的だ。
この大広間は、百畳敷。
野﨑家別邸迨暇堂(たいかどう)といい、国の登録文化財になっている。
こちらも驚きの2,250坪。
茶室も2つあるという。
天神宮
再び児島ジーンズストリートを歩く。
トイレもジーンズ(笑)
天神宮(てんじんぐう)まで歩いてきた。
1407年の創建で、祭神は菅原道真(すがわらのみちざね)
当社の創建は応永14年(1407)といわれる。岩崎(巌崎)五郎左衛門なる者が阿波国三好郡より菅原道真公の神霊を奉戴し舟で尾首坂(字疫神上)というところに着いた。(舟が着いたところをこののち天神川というようになった)そこに神霊をお祀りしたが、その後文明4年(1472)に現在の鎮座地である柘榴浜(ざくろはま・磯辺)に移したという。
本殿、一間社流れ造り。拝殿、明治15年(1882)再建唐破風付き入母屋造り。
天神宮|岡山県神社検索|岡山県神社庁 から引用
内部はこんな感じ。
持宝院
巖崎山大雄寺持寶院(じほういん)にやってきた。
真言宗御室派の別格本山で、児島霊場八十八箇所第26番札所になっている。
ここは738年の創建で、石庭がみごとだ。
本尊は薬師如来(やくしにょらい)
JR児島駅前
JR児島駅前にやってきた。
道の反対側に見えるのが、旧下津井電鉄線の児島駅舎だ。
1990年に廃線となったあと倉敷市が管理して通年公開しているはずだったが、シャッターが閉まっていた。
アーチ形の外観が特徴の旧駅舎は、1988年の瀬戸大橋開通に合わせて新築。90年末の廃線後もプラットホームや駅名標などを残し、トイレやベンチもある。市は2006年から下津井電鉄(岡山市)の土地や建物を借り受けて管理しており、4月に変更するまでは金~日曜と祝日の開館だったが、休館は年末年始だけとなる。
バス停のベンチで、ファミリーマートで買ってきた肉まんで腹ごしらえ。
児島市民交流センターは、屋根の上が階段になった特徴的な外観。
その向かいは、味野公園(あじのこうえん)
瀬戸大橋の架橋を記念して造られた。
和歌山城の御橋廊下(おはしろうか)の印象が強いおばあ。

この公園には11の橋が架けられていて、一筆書きで渡ることができるそうだ。
さすがおばあ。
14世紀に越前国福井の城下町に架けられた半分は石橋、半分は木橋になった橋。
大正橋まで戻ってきた。
車で先に進んだ。














