鬼ノ城とは
鬼ノ城(きのじょう)は、岡山県総社市黒尾(おかやまけんそうじゃしくろお)にある史跡だ。
日本の古代山城で、桃太郎の鬼ヶ島の鬼の城とされる。
「日本100名城」のひとつ。大和朝廷によって国の防衛のために築かれたとされる古代山城。鬼ノ城は歴史書には一切記されておらず、その歴史は解明されずに謎のままです。現在は史跡調査や整備、復元を行っており、角楼跡や城門跡を訪れることができます。復元された西門から望むパノラマ風景は素晴らしい。山頂の手前には復元の過程や遺跡が出土した時の様子を紹介した「総社市鬼ノ城ビジターセンター」があります。城壁に沿って整備された全長2.8kmのウォーキングコースもおすすめです。
鬼城山ビジターセンター
2022年2月25日、この日は倉敷シーサイドホテルに宿泊していた。
造船所見学ツアーに参加した後、車で鬼城山ビジターセンターにやってきた。
最高点の標高: 356 m
最低点の標高: 1 m
累積標高(上り): 455 m
累積標高(下り): -100 m
総所要時間: 01:13:53
駐車場はとても広い。
鬼城山ビジターセンター
岡山県総社市黒尾1101−2
0866-99-8566
鬼ノ城は、吉備津神社(きびつじんじゃ)に首が埋まっていると伝わる温羅(うら)の居城だった。
当時はこのあたりまで海が入り込んでいて、島になっていたそうだ。
まず案内看板でルートを確認。
鬼城山ビジターセンターに入ってみた。
立体模型があって分かりやすい。
前回はこの鬼ノ城を一周するルートを歩いた。
鬼ノ城は正規の歴史書には登場しないが、後世の文献である鬼ノ城縁起などにでてくる。
鬼ノ城は、古代山城のひとつだ。古代山城とは、7世紀後半に九州北部から西日本にかけて築かれた城のこと。663年に朝鮮半島で起きた白村江(はくそんこう)の戦いで、百済(くだら)と同盟を結んだ日本は唐・新羅(しらぎ)連合軍に大敗。すると、大和朝廷は唐・新羅の日本への侵攻を恐れ、亡命した百済貴族を登用して国防のための城づくりを指導させた。太宰府を囲むように築かれた大野城(福岡県太宰府市・大野城市・宇美町)、基肄城(きいじょう=福岡県筑紫野市・佐賀県基山町)をはじめ、金田城(長崎県対馬市)や屋嶋城(高松市)などだ。
「日本書紀」などの文献に記載されているこれらの古代山城は「朝鮮式山城」、鬼ノ城をはじめ文献に記載のない城は「神籠石(こうごいし)系山城」と区分される。神籠石系山城はいつ誰がどのような目的で築いたのか不明で、かつては城郭説と霊域説との論争もあったが、現在では朝鮮式山城と同じ目的で築かれたとされている。
犬墓山
鬼城山ビジターセンターを出発。
岩屋三十三観音が鎮座する。
予想外に上って息が切れているおじい(汗;)
山頂に到着、と思ったら違っていた。
犬墓山(いぬはかやま)の山頂に到着。
馬頭観音
馬頭観音に向かって歩いて行く。
方位岩という巨岩があった。
馬頭観音に到着。
このあたりには雪が残っている。
はしゃぐおばあ。
岩屋寺
鬼の餅つき岩に到着。
そこから回り込んで、岩屋寺に向かう。
由緒書き。
岩屋寺が見えてきた。
参拝する。
「鬼の差し上げ岩」に向かう。
鬼の酒盛り岩
「鬼の酒盛り岩」が展望ポイントらしいので、行ってみることにした。
鬼の酒盛り岩に到着。
確かに眺望がいい。
ここでランチタイム。
おばあはイチゴサンドイッチ。
重田池
食事を終え先に進むと、川に氷が張っていた。
池が見えてきた。
重田池といい、ダム湖だ。
岩屋休憩所
せせらぎ十字路で、岩屋の大桜に向かう。
岩屋の大桜に到着。
岩屋休憩所に到着。
ここにトイレがあって一安心だが、水洗にして欲しかった。
棚田を抜けていく。
北門
車道に出てきた。
ここから北門に向かう。
上りに手こずりながらも、北門に到着。
温羅(うら)の石碑まで歩いてきた。
温羅は桃太郎の鬼のモデルと言われていて、吉備津彦命(きびつひこのみこと)が退治したとされる。
展望台に到着。
東門、南門、西門
南門に到着、と思ったら、まだ東門だった。
今度こそ間違いなく南門に到着だ(苦笑)
ついに西門が見えてきた。
西門は櫓も再現されている。
ただし上ることはできない。
疲れたので山頂はパスして(苦笑)先に進む。
ここから西門が正面に見える。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 461 m
最低点の標高: 288 m
累積標高(上り): 657 m
累積標高(下り): -657 m
総所要時間: 04:07:43