えさし海の駅開陽丸とは
えさし海の駅開陽丸(うみのえきかいようまる)は、北海道檜山郡江差町姥神町(ほっかいどうひやまぐんえさしちょううばがみちょう)にある観光施設だ。
江差沿岸は年間を通じて良風が吹く絶好のクルージングスポットです。マリンレジャーの基地として、またヨットハーバーとしては最新設備を整え国内外のヨットマンが立ち寄る有数のマリーナです。戊辰戦争中に榎本武揚らを乗せ活躍した幕府軍艦開陽丸を復元して作られた資料館があります。
えさし海の駅|海の駅 から引用
えさし海の駅開陽丸
北海道檜山郡江差町姥神町1−10
0139-52-5522
駐車場
2022年7月10日、この日は寿し処かきたでランチを済ませた。
そこから車で、道の駅江差(えさし)を通過。
えさし海の駅開陽丸(うみのえきかいようまる)にやってきた。
駐車場はとても広い。
最高点の標高: 104 m
最低点の標高: 1 m
累積標高(上り): 417 m
累積標高(下り): -432 m
総所要時間: 00:56:48
えさし海の駅開陽丸
港には海上保安庁の巡視船が停泊していた。
帆船が係留されている。
えさし海の駅開陽丸は、戊辰戦争中に活躍した幕府軍艦開陽丸を復元して作られた資料館だ。
開陽丸記念館には海底から引き揚げた遺物、約33,000点の内、約3,000点を展示しております!
開陽丸記念館 から引用
館内はこんな感じ。
キャラクターがイケメン。
観光案内所が併設されている。
開陽丸
開陽丸の模型が展示されていた。
開陽丸は1866年に徳川幕府の命運をかけ建造された。
1866年9月(慶応2)に徳川幕府の命運をかけ建造された軍艦開陽丸は堅牢かつ美麗に完成し、その名、開陽(大熊座中の北斗七星の呼称)オランダ語のVoorichterは夜明け前と訳されています。オランダで建造された開陽丸は幕末、鳥羽伏見の戦い、江戸城開城、徳川幕府崩壊を見届け、1868年10月(慶応4)に江戸を出帆、12月に蝦夷地に到着。 箱舘戦争最中の1868年12月(明治元年11月15日)に松前を落とし江差に向かう土方歳三らの陸軍支援のため、海路江差沖で暴風雪に遭いあえなく座礁、沈没してしまいます。 僅か2年3ヶ月の命でした。
shisetsu から引用
オランダで造艦され、クルップ施条砲18門を備える最強の軍艦だった。
幕府軍の旗艦艦船だった。
1868年に土方歳三らの陸軍支援に向かう江差沖で暴風雪に遭い、座礁、沈没してしまった。
観光
ここで観光コースを確認。
土方歳三もイケメン(笑)
引き上げた遺品が展示されている。
開陽丸の船体および遺物は1975年に、日本初の海底遺跡として登録された。
係留されている開陽丸は、平成2年に実物大に復元したものだ。
旧幕府軍が箱館および五稜郭を占領した際には、箱館港に入港して祝砲を撃ったという。
11月14日に江差を無血占領したが、翌15日夜の暴風で座礁、沈没した。
主力軍艦たる開陽丸の喪失により、旧幕府軍は海上戦力の優位が一挙に崩れ、その後の戦局に大きく影響を及ぼすことになった。
1975年から1984年にかけて発掘調査が行われた。
33,000点の遺物を引き上げたそうだ。
かもめ島に向かった。
最高点の標高: 28 m
最低点の標高: 1 m
累積標高(上り): 126 m
累積標高(下り): -126 m
総所要時間: 00:52:37