屋島寺
2022年11月21日、この日は屋島山上交流拠点施設「やしまーる」を見学した。
そこから徒歩で、屋島寺(やしまじ)まで歩いてきた。
南面山 千光院 屋島寺
香川県高松市屋島東町1808
087-841-9418
屋島寺には前日に参拝した。
しかし四天門は、昨日は通らなかった。
前回屋島寺に参拝した時は、この道を歩いて西尾根展望台に行った。
ここに四天王像が安置されている。
雨上がりで、一段と紅葉がきれいだ。
駐車場
駐車場にやってきた。
荷物を車に入れ、歩いて行く。
源平屋島古戦場
源平屋島古戦場まで歩いてきた。
向こうに見えるのが、八栗山(やくりやま)だ。
その間の海が、那須与一が扇を射貫いたという逸話の場所だ。
駒立岩は、扇の的を射落とそうとする与一が足場を築いたという岩。祈り岩は、与一が扇の的を射落とすときに、祈りを捧げたという岩。
那須与一の扇の的伝説~屋島古戦場~ から引用
このあたりの廃墟となったホテルは、いただけない。
おじいが小学生の頃、修学旅行で泊まった記憶がある。
おばあはホテルの名前まで覚えていた。
屋島展望台
遍路道まで歩いてきた。
ここから八栗寺に続くのだが、急坂でなかなか大変そうだ。
屋島展望台まで歩いてきた。
建物はほったらかしのもあるけど、道はよく整備されているよね。
このあたりが屋島の山頂のはずだが、よく分からない(汗;)
屋嶋城城門跡
屋嶋城城門跡まで歩いてきた。
岡山県の鬼ノ城(きのじょう)みたいだ。
663年に朝鮮半島で起きた白村江(はくそんこう)の戦いで破れた日本は、屋嶋城や鬼ノ城などの古代山城を築いた。
その時に築かれた城門が残っている。
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が唐と新羅の侵攻に備え、667年に築かせたことが「日本書紀」に記されている。
中大兄皇子が唐と新羅の侵攻に備え、対馬、九州から瀬戸内海沿岸にかけて築かせた山城で、667年に築かれたことが「日本書紀」に記されています。断崖絶壁を最大限利用した古代山城で、城壁の9割程は天然の崖です。
ここからの眺望も素晴らしい。
屋嶋城城門跡
香川県高松市屋島東町 屋島山上
087-823-2714
仁王門
第83番札所の一宮寺から続く遍路道まで歩いてきた。
ここから登ってきて、仁王門をくぐることになる。
血の池にやってきた。
壇ノ浦の戦いの際に刀の血をここで洗ったため、この名がついたという。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 289 m
最低点の標高: 268 m
累積標高(上り): 71 m
累積標高(下り): -67 m
総所要時間: 01:01:15