丸亀製麺でランチ
2021年2月27日、自宅を車で出発し、丸亀製麺にやってきた。
俺は牛すき釜玉うどんにした。
ツレは釜揚げうどんとちくわ天。
こちらは肉うどんとおにぎり2個。
護国神社
食事を終え、護国神社の駐車場に移動。
駐車場はとても広い。
桃の花が満開だ。
まずは摂社の開拓神社に参拝する。
拝殿。
登山道
参拝を終え、登山道へ。
石段が続くので、息が上がる。
途中に、貞享元年銘法華経塔(じょうきょうがんねんめいほけきょうとう)がある。
法華経塔は、五台山の麓、大島岬の護国神社から竹林寺への旧参道の7~8合目に南面して建っている。石塔は、高さ2.98mで、塔身の正面中央には、「南無妙法蓮華経」という題目を刻している。日蓮宗の題目「南無妙法蓮華経」を刻す塔を題目石塔と呼んでいるが、この法華経塔の如く笠を持ち題目を刻した石塔は、題目式笠塔婆とも呼ばれている。
塔は、銘文によると1684(貞享元)年に畑郡柏島(幡多郡大月町柏島)の法蓮寺の住持日教により建てられたもので、五台山だけでなく、安芸郡甲浦(東洋町)と幡多郡宿毛(宿毛市)市山にも同じ塔を建てている。この塔が建てられたのは、仏の徳に報い、国家の恩に報いるために、法華経を3部書写し、そして土佐の三ヶ所に塔を建立し、人びとが利益に預かることを願い建てられたものである。また、塔建立には多くの人びとの浄財を募り、檀信徒の名を書いたものを法華経とともに地下に埋納している。
さらに、この塔が建てられたのが貞享元年の10月13日であること、それは日蓮宗の開祖、日蓮聖人滅後402年の命日に当たっていることから、日蓮聖人の400遠忌を意識して建てられていることが判明している。また、経典を埋めているところから、経塚ともいえるものである。
牧野植物園
牧野植物園(まきのしょくぶつえん)に到着。
土曜日と言うこともあり、駐車場は満車だ。
中は円形の回廊になっている。
その名称は、高知県出身の植物学者「牧野富太郎(まきのとみたろう)」に由来する。
先日、牧野富太郎生誕地に立ち寄った。
こんこん山広場に上がると、北の山が冠雪しているのが見える。
園内の喫茶店で、ケーキタイム。
温室で開催されている「旅するラン展」を見てみることにした。
なかなかの迫力。
見応え抜群だった。
竹林寺
竹林寺(ちくりんじ)に向かう。
四国八十八ヶ所霊場第31番札所で、本尊は文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
仁王門にお餅が備えられている。
日吉神社に参拝。
本堂。
大師堂。
五台山公園
五台山公園(ごだいさんこうえん)に到着。
展望台の喫茶店は、閉店していた。
展望台には上がることが出来る。
高知市街地を見るなら、ここか皿ヶ峰がいいだろう。
伊達兵部の墓
展望台を下りて、下山していく。
伊達兵部(だてひょうぶ)の墓に到着。
独眼龍政宗として知られる伊達政宗の子で、お家騒動でこの地に流されて没した。
独眼龍政宗の名で知られている仙台藩初代藩主伊達政宗の子で、「伊達騒動」の重要人物として登場する伊達兵部宗勝[むねかつ]の墓が五台山の中腹にある。1660(万治3)年幕府は仙台藩主伊達綱宗を不行跡のため隠居させ、その子で僅か2歳の亀千代(綱村)に相続させた。そして綱宗の叔父にあたる兵部と田村宗良に後見を命じた。兵部は奉行の原田甲斐宗輔らと結んで藩政を自由にし、反対者を処罰した。一門の伊達安芸宗重は、兵部・甲斐らの非違を幕府に訴えた。1671(寛文11)年幕府はこの伊達騒動を裁いたが、席上甲斐は安芸を斬殺した。このため兵部は騒動の責任を問われ土佐藩山内家預けとなった。1679(延宝7)年11月4日に58歳で病死。丹中山[たんちやま]で火葬後、五台山に埋葬された。墓碑には「東岳院殿前兵部大輔従四位下峰山紹雄大居士」とある。墓碑入口に「蝉しぐれ 兵部の墓に触れてみる 岩村邦雄」の句碑もある。
下山を続け、駐車場に戻った。
最高点の標高: 139 m
最低点の標高: 6 m
累積標高(上り): 421 m
累積標高(下り): -421 m
総所要時間: 02:57:59