神恵院、観音寺とは
七宝山神恵院(しっぽうざんじんねいん)は、香川県観音寺市八幡町(かがわけんかんおんじしやはたちょう)にある真言宗大覚寺派の寺だ。
四国八十八箇所霊場の第68番札所で、本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)
六十八番・神恵院も六十九番・観音寺も琴弾公園内の琴弾山の中腹にあります。2つの札所が同じ境内に存在する、とても珍しい霊場です。
開基したのは法相宗の高僧・日証上人といわれています。大宝3年(703)この地で修行中、宇佐八幡宮のお告げを受け、かなたの海上で神船と琴を発見。琴弾山に引き上げ、「琴弾八幡宮」を建立して祀りました。このとき、神宮寺として建てられた寺が起源とされています。大同2年(807)弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、後に院号を「神恵院」とし、六十八番霊場としました。
七宝山観音寺(しっぽうざんかんのんじ)も、同じ場所にある真言宗大覚寺派の寺だ。
四国八十八箇所霊場第69番札所で、本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)
大同2年(807)、弘法大師は琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来像を納めたとき、この寺の第7世住職となって入山したと伝わる。そこで大師は、琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣って中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、その中金堂には本尊とする聖観世音菩薩像を彫造して安置した。さらに、この地に仏塔を建てて瑠璃、珊瑚、瑪瑙などの七宝を埋め、地鎮をしたことから、寺名の神宮寺を「七宝山・観音寺」に改め、霊場に定めたとされている。桓武天皇(在位781〜806)はじめ3代の天皇の勅願所となり、また室町時代には足利尊氏の子・道尊大政大僧正が住職として45年間務めるなど、寺運は隆盛を誇った。だが、やはり明治新政府の神仏分離令により本地仏を移し、一境内に二霊場となった。
この2山は同じ境内にあり、非常に珍しい札所となっている。
駐車場
2022年1月28日、この日は父母ヶ浜(ちちぶがはま)を歩いた。
そこから車で、神恵院(じんねいん)にやってきた。
駐車場はとても広い。
最高点の標高: 24 m
最低点の標高: 1 m
累積標高(上り): 54 m
累積標高(下り): -44 m
総所要時間: 00:11:35
神恵院
第68番札所の神恵院(じんねいん)と第69番札所の観音寺(かんのんじ)は、同じ境内にある。
まず案内看板でルートを確認。
仁王門をくぐって、先に進む。
神恵院の本堂は、お寺とは思えない近代的な建物だ。
参拝する。
内部はこんな感じ。
本堂の横は日本庭園になっているが通行止め。
巍巍園(ぎぎえん)というそうだ。
大師堂に向かう。
大師堂に参拝。
納経所は観音寺と共用になっている。
観音寺
観音寺の本堂に向かう。
観音寺の大師堂にも参拝する。
薬師堂に向かう。
薬師堂は元は神恵院の本堂だった。
銭形に向かった。