広瀬歴史記念館とは
広瀬歴史記念館は、愛媛県新居浜市上原(えひめけんにいはましうわばら)にある博物館だ。
住友グループの初代総理人となった広瀬宰平(ひろせ さいへい)に関する展示をしている。
幕末・明治の動乱期に、政府による接収や住友の経営難による売却から別子銅山をまもり、その開発の近代化を推進した広瀬宰平。彼はまた、わが国の産業の育成にも力を注ぎ、国家の発展に貢献しました。宰平の足跡を通して、新居浜の生い立ち、そして、日本の近代産業の歩みをたどります。
広瀬歴史記念館
〒792-0046 愛媛県新居浜市上原2丁目10−42
0897-40-6333
広瀬宰平の旧邸宅を徹底解説!明治時代の豪邸を見学してきた【旅行VLOG、レビュー】住友グループの初代総理人の大豪邸!別子銅山1万人の食糧となる米を確保するため作られた溜池!全てのスケールが大きい!
深谷寺
2024年12月13日、この日は瑞應寺(ずいおうじ)に参拝した。
そこから四国の道を歩いていく。
深谷寺まで歩いてきた。
大蔵院深谷寺
〒792-0836 愛媛県新居浜市篠場町15−45
新四国第39番霊場。
1137年開基という古刹。
本尊は不動明王。
旧広瀬邸
懐かしのタバコ自動販売機。
レトロ感たっぷり。
四国の道を外れ、旧広瀬邸にやってきた。
住友グループの初代総理人となった 広瀬宰平(ひろせ さいへい)の邸宅。
旧広瀬邸
〒792-0046 愛媛県新居浜市上原2丁目10−52
0897-43-4667
表門は明治23年(1890)の建築。
番頭の居宅跡。
番頭が5人もいたそうだ。
愛媛県の名勝に指定されている。
入館料は550円。
楠は樹高30m。
支払いは現金のみだった。
和室だがモダンな照明付き。
迷路みたい。
ちょっと洋館っぽいよね。
とても広い。
床の間が凄い。
庭を見ながらくつろぐおばあ。
お風呂は意外と小さかった。
迷ったおじい。
改修中ですね。
二階に上がってみた。
ガラスが波打っているのが時代を感じさせる。
二階にもトイレがあるのは珍しい。
土間に置かれていたのはお茶を作る機械。
台所だと思ったら、お茶の工場だった。
1850年から開墾したが米づくりに失敗。
住友家からこの地を譲り受け、1877年に製茶工場を作った。
茶室。
手水鉢の台座は重量4tの巨石。
靖献堂は広瀬家の持仏堂。
どんだけ金持ちや、という感じです。
広瀬歴史記念館
広瀬歴史記念館に向かう。
このエリアは無料だ。
大きいね。
広瀬宰平(ひろせ さいへい)の銅像。
共通チケット。
撮影禁止だった。
別子銅山について詳しく知ることができた。
広瀬公園
隣接する広瀬公園にやってきた。
広瀬公園・亀池
〒792-0046 愛媛県新居浜市上原2丁目9
0897-40-6333
灌漑用水池として高尾の地に鶴池、中之町(現在地)に亀池を築いた。
明治三十年(1897年)には公園として亀池を整備した。
亀の形をした中之島(千歳島)を築いた。
紅葉がきれいだ。
唐津塚。
守護神で、新居浜市の史跡。
明治初年には別子銅山で働く人は1万人を超えた。
食糧となる米を確保するため、この亀池が作られた。
広脇神社。
広瀬家と北脇家(宰平の実家)を祀った神社。
帰路
新四国第38番霊場の石碑があった。
しかしお寺らしき物はない。
生子橋(しょうじばし)まで戻ってきた。
最高点の標高: 116 m
最低点の標高: 57 m
累積標高(上り): 251 m
累積標高(下り): -269 m
総所要時間: 02:47:41