手長神社とは
手長神社(てながじんじゃ)は、長野県諏訪市(ながのけんすわし)にある神社だ。
高島藩諏訪氏が崇敬した梶の葉紋のお社。拝殿の立川流の手になる龍の彫り物が見事です。御柱祭は、提灯の明かりで長い石段を引き上げる、他に類をみない壮麗なものです。
手長神社 | 諏訪神仏プロジェクト から引用
手長神社
〒392-0003 長野県諏訪市上諏訪9556
0266-52-1007
【縁結びのパワースポット】むすびの大欅!高島城の鬼門を守る隠れた名所!手長神社に参拝してきた!【旅行VLOG、レビュー】摂社の一つ一つにも御柱が建つ!諏訪大社にも匹敵する巨大御柱は必見!
駐車場
2024年12月30日、この日は長野県諏訪市(ながのけんすわし)にある温泉寺(おんせんじ)に参拝した。

そこから車で、手長神社(てながじんじゃ)にやってきた。
中世には桑原郷の総鎮守だった。
高島城の鬼門鎮守の神と崇敬された。
祭神は手摩乳命 (てなづちのみこと)
諏訪大神の曾祖母だと伝わる。
駐車場は鳥居の両側に2台ずつ停められそうだ。
境内
創建の由諸は不明。
境内の近くには旧石器時代・古墳時代の複合遺跡である手長丘遺跡が、境内上方には茶臼山古墳群があり、周辺には古代から人が住んでいた。
能舞台。
白木屋が末広町に所有していた別荘の敷地内にあったものを移築した。
この能舞台は、当初から手長神社にあったものではありません。諏訪市角間町で呉服屋を営んでいた白木屋(後に白作呉服店)が、末広町に所有していた別荘の敷地内にあったものを移築したものです。
そこに能舞台が作られたのは大正時代初期のことです。往時は、個人で能舞台を所有するなど前代未聞のことでした。こうしたことから、如何に往時の諏訪地方が製糸業で潤っていたかが窺えます。
『芳葩爛漫 伊那・諏訪紀行④上諏訪 手長神社』諏訪(長野県)の旅行記・ブログ by montsaintmichelさん【フォートラベル】 から引用
鎌倉時代に桑原郷が上桑原と下桑原に分けられたとき、下桑原に手摩乳命を祀る手長神社が作られ、上桑原の足長神社とともにそれぞれの鎮守となったとされる。
戦没者慰霊碑。
どんど焼きの準備をしていた。
二之御柱。
式年御柱祭が行われる。
9月24日(土)~26日(月)に行われた諏訪市手長神社の御柱祭里曳き(さとびき)
に行ってきましたので、その様子をご紹介します!
むすびの大欅。
途中で梢が結ばれていることから「縁結びのパワースポット」として人気がある。
樹齢約400年。
おじいとおばあみたい。
一之御柱。
参拝
江戸時代には高島城の鬼門にあたることから、鎮守の神として崇敬された。
下社秋宮、春宮などは大混雑だろうが、ここは誰もいない。
総鎮守なので、さすがに初詣は混雑するだろう。
社伝によると、1782年(天明2)の創建とされる。
延命杉。
樹齢500年。
祭神は手摩乳命 (てなづちのみこと)
素盞嗚尊の妻となった奇稲田姫神(くしなだひめ)の母神とされている。
この家系図では櫛名田比売と記載されている。
古くは手長宮や手長大明神の名で呼ばれ、諏訪大社の三十九摂社のひとつだった。
式年御柱祭では御柱をこれで引き上げるのだろう。
暗くなってから提灯の明かりで243段の石段を引き上げる。
社務所に続く回廊は通行止め。
聖徳神社。
「狛犬」ならぬ「狛鯱」
1938(昭和13)年の御柱祭に当たり、社を建立した。
手長神社の由緒書き。
弥栄神社(いやさかじんじゃ)
旧本殿だった。
天照皇大神宮にも小さいが御柱がある。
参拝を終え、車で先に進んだ。
