大聖寺城下町散策!深田久弥ゆかりの地を巡る旅【旅行VLOG、レビュー】日本百名山の著者である深田久弥の生誕の地『大聖寺町(だいしょうじまち)』を歩いてみた!大聖寺藩の城下町の風情を味わうウォーキング

大聖寺町

大聖寺とは

大聖寺町(だいしょうじまち)は、現在の加賀市中心部にある町だ。

江戸時代は大聖寺藩の城下町として発展した。

金沢につぐ歴史都市に認定された十万石の城下町・大聖寺/加賀市城下町大聖寺は金沢に次ぐ石川県内では2例目の歴史都市として、令和3年度に国から認定されました。遠く「えぬの国」から始まり、一向一揆の民による「百姓の持ちたる国」を経て、加賀藩第三代藩主・前田利常の三男利治を藩祖とする大聖寺藩が誕生。以来、明治期に至るまでの230年間、錦城山の麓には藩邸や武家屋敷、その東側には鍛治町鉄砲町など職人の町、南側には町の防備も兼ねて「山の下寺院群」を配置するなど、町割りのしっかりした城下町が置かれました。

金沢につぐ歴史都市に認定された十万石の城下町・大聖寺/加賀市 から引用

大聖寺城 本丸跡
〒922-0861 石川県加賀市大聖寺地方町

大聖寺城下町散策!深田久弥ゆかりの地を巡る旅【旅行VLOG、レビュー】日本百名山の著者である深田久弥の生誕の地『大聖寺町(だいしょうじまち)』を歩いてみた!大聖寺藩の城下町の風情を味わうウォーキング

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江沼神社

2024年9月14日、この日はリブマックスリゾート加賀山代(かがやましろ)に宿泊していた。

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そこから車で、大聖寺城(だいしょうじじょう)本丸跡にやってきた。

この日は城跡には行かず、大聖寺町(だいしょうじまち)を歩くことにした。

駐車場は舗装されていないが、とても広い。

江沼神社(えぬまじんじゃ)にやってきた。

江沼神社庭園(旧大聖寺藩邸庭園)
〒922-0057 石川県加賀市大聖寺八間道55

1704年、大聖寺藩3代藩主である前田利直は、前田家の遠祖である菅原道真の霊を祀る天満天神社を建立した。

これが江沼神社の創始とされる。

前田家ゆかりの三天神の一社として、入試シーズンには受験生でにぎわうそうだ。

祭神は菅原道真。

そのため牛の銅像がある。

大聖寺藩の陣屋があった場所で、庭園になっている。

1709(宝永6)年に、隣接する長流亭とともに作庭された。

兼六園の影響を受けた池泉廻遊式武家庭園。

加賀市指定名勝となっている。

庭園で槍の稽古をしていた。

風傳流槍術は旧大聖寺藩の正規武術だった。

深田久弥の文学碑ではなかった。

読めない(汗;)

竹涇館(ちっけいかん)

1900年(明治33年)に竣工した登録有形文化財の建物を移築した。

現在は槍術の支部になっていた。

由緒書き。

大聖寺町(だいしょうじまち)は、日本百名山で有名な深田久弥(ふかだきゅうや)の生誕地だ。

レトロな橋があった。

深田久弥の文学碑。

「山の茜を顧みて 一つの山を終りけり 何の俘(とりこ)のわが心 早も急かるる次の山」

歴町ふるさと館 “マッチング”

川に出てきた。

2020年まで流し舟が運行していたそうだ。

歴町ふるさと館 “マッチング”という建物がある。

「歴町ふるさと館マッチング」オープン 積み重なる歴史 大聖寺を知ろう:北陸中日新聞Web歴町ふるさと館は、四月末で廃止した旧大聖寺川流し舟の待合所だった北陸鉄道の旧車両「モハ3751」を改装して設置した。
 内部には、大聖寺藩初代藩主の前田利治や九谷焼を創始したとされる後藤才次郎、日本初のプロ野球球団をつくった河野安通志(あつし)ら三十四人をパネルで紹介する。大聖寺藩邸などを再現したジオラマもある。車両の外でも商店街や劇場の様子など、地域の今昔をパネルで伝えている。

「歴町ふるさと館マッチング」オープン 積み重なる歴史 大聖寺を知ろう:北陸中日新聞Web から引用

歴町ふるさと館 “マッチング”
〒922-0057 石川県加賀市大聖寺八間道86

八間道(はちけんみち)という通りのようだ。

大聖寺川流し舟の待合所だった。

北陸鉄道の旧車両「モハ3751」を展示している。

地域の今昔をパネルで伝えている。

NPO法人歴町センター大聖寺が運営している。

内部はたくさんの展示物。

北陸鉄道は4つの温泉地をつないでいた。

倉庫に入っていた車両を譲り受けた。

大聖寺城(だいしょうじじょう)のジオラマがあった。

深田久弥 山の文化館

大聖寺川(だいしょうじがわ)は山中温泉の方から流れてきている。

流し舟が運行していたが、川底が浅くなったため2020年に廃止になったそうだ。

深田久弥 山の文化館にやってきた。

駐車場はとても広い。

明治43年に建てられた絹織物工場「山長」の事務所・石蔵・門を修築した。

国の登録有形文化財に指定されている。

施設紹介 – 深田久弥山の文化館平成30年(2018年)4月に完成し、8月に開館した資料文献室には、山岳の古典、登山技術書、高山植物など自然に関するもの、山岳信仰についての書籍、『山と溪谷』、『岳人』、『アルプ』などの山岳雑誌、海外遠征記録、内外の山岳会誌、部報、海外の山に関するものなど一万点を超す書籍・資料が収蔵されています。深田久弥の世田谷の自宅にあった「本小屋」の名称にちなんで「九山山房」と名付けています。

施設紹介 – 深田久弥山の文化館 から引用

深田久弥 山の文化館
18-2, 18番地2 大聖寺番場町 加賀市 石川県 922-0067
0761-72-3313

入館料は350円。

白山について書かれた深田久弥の文章が掲示されていた。

人はふるさとの山を持っている。

深田久弥にとってのふるさとの山は白山であった。

資料文献室「九山山房」に入ってみた。

深田久弥は俳人としても活躍していて、俳号が「九山」だった。

深田久弥が使っていた地図が展示されていた。

当時としては貴重な資料の宝庫だったため、田部井 淳子(たべい じゅんこ)氏たちも情報収集に来ていたそうだ。

展示室はかつて生糸の保管庫として使われていた石蔵。

ここでDVDを見せてもらった。

内部はこんな感じ。

深田久弥の遺品を中心とした展示だ。

山好きにはたまらない。

まだ54座しか登っていないが、いつか日本百名山を完登したいものだ。

目指せ!日本百名山踏破。チャレンジ開始
作家で登山家の深田久弥が選定した『日本百名山』登山をする人間なら、きっと制覇したいと思うはずだ。かく言う俺も、無謀にもこの踏破にチャレンジすることにした。これだけの山を踏破するには、体力はもちろんだが費用面でも相当の負担がかかる。雑誌「山と渓谷」によれば、東京発着で約242万円かかるらしい。

今はコンパクトで軽くなって楽なはずなのにね。

「聴山房」という別館がオープンしていた。

カフェになっている。

奥の座敷には深田久弥が使っていた5万分の1の地図が拡大展示されている。

老眼のおじいには、このくらいが見やすい(苦笑)

先日歩いた尾瀬沼の地図も展示されていた。

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尾瀬沼は群馬県利根郡片品村と福島県南会津郡檜枝岐村にまたがる標高1665mの湖で、日本で最も標高の高い場所に位置している。御池駐車場からシャトルバスを利用し沼山峠へ。尾瀬沼ビジターセンターまで歩く。周囲約6kmのハイキングコースを一周した。

長流亭

深田久弥 山の文化館を出て、旧大聖寺川を渡る。

川沿いに見えるのが長流亭だ。

旧国宝で、現在は国の重要文化財に指定されている。

車で深田久弥の生家の前を通り、先に進んだ。