うばが森
2024年3月1日、この日はチポッラでランチを済ませた。

仁淀川橋(によどがわばし)まで歩いてきた。
新之丞の伝説の地を歩く!土佐七色紙発祥の地10km【ハイキング】長宗我部元親の妹「養甫尼」との出会い!そして惨殺されるまで!山内一豊も賞賛した土佐七色紙の血ぬられた歴史!【旅行VLOG、レビュー】
成山(なるやま)に向けて歩いて行く。
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車道を歩いてきたが、ここから登山道になる。
かなりの急登だ(汗;)
うばが森まで歩いてきた。
ここは分岐点になっていて道が分かりにくいが、標識が設置されていた。
間違えて反対側に歩いて行ってしまったことがある。
成山和紙の里公園
分岐点を仏ケ峠(ほとけがとうげ)に向かう。
このルート最高地点標高463m。
少し下って成山和紙の里公園に到着。
公園になっている。
桜が咲いていた。
車道が付いていて、広い駐車場もある。
太平洋まで見渡せる。
成山は土佐七色紙(とさなないろがみ)の発祥の地だ。
江戸時代に土佐和紙は発展した。
新之丞(しんのじょう)が土佐に製紙技術を伝えた。
伊予に帰ろうとする新之丞は、製造方法を知られることを恐れた安芸家友に殺された。
新之丞は、藩政時代初期に伊予より現在のいの町成山に移り住み、安芸家友に製紙技術を伝えた。
その後、この地区を出ようとして、技術が他国に伝わるのを恐れた家友に殺害されたと伝えられている。
いの町成山の仏が峠に、この新之丞を弔う記念碑が建てられている。
長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の妹、養甫(ようほ)が土佐七色紙をつくった。
きれいなトイレがあるのが嬉しい。
仏ケ峠
七色橋を渡る。
その下が仏ケ峠だ。
新之丞の碑が建てられている。
1596年、病に苦しむ新之丞を養甫尼が助けた。
和紙の製法を学んだ。
帰国することになった新之丞を安芸家友が殺害した。
紙漉きの技術が流出することを恐れたためだ。

村次地蔵堂。
モテモテの、おじいのような(笑)男の伝説がある。
三姉妹に恋された村次は、選びきれずに無理心中した。

ここから仁淀川(によどがわ)がきれいに見えている。
ポンカンを食べながら休憩。
八坂神社に参拝する。
下山
下山は車道を歩いていく。
うば屋敷跡まで歩いてきた。
ここに養甫尼が隠棲していた。
夫の波川玄蕃(はかわげんば)が謀叛を企み切腹させられたためだ。

さらに下っていく。
登山口まで戻ってきた。
仁淀川に出た。