伊佐須美神社とは
伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)は、福島県大沼郡会津美里町宮林(ふくしまけんおおぬまぐんあいづみさとまちみやばやし)にある神社だ。
奥州二宮、岩代一宮、会津総鎮守で、祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、大毘古命(おおひこのみこと)、建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)
社伝によると、凡そ二千有余年前第10代崇神天皇10年に諸国鎮撫の為に遣わされた大毘古命とその子 建沼河別命が会津にて行き逢い、天津嶽(現・新潟県境の御神楽嶽)において伊弉諾尊と伊弉冉尊の祭祀の礼典を挙げ、国家鎮護の神として奉斎した事に始まると伝えられます。我が国最古の歴史書とされる『古事記』には「大毘古命は先の命のまにまに、高志国に罷り行きき。ここに東の方より遣はさえし建沼河別、その父大毘古と共に相津に往き遇ひき。かれ、そこを相津と謂ふ。ここを以ちて各遣はさえし国の政を和平して覆奏しき。ここに天の下太平けく、人民富み栄えき。」とあり、“会津”地名発祥の由来と創始を共にしております。
その後、博士山、波佐間山(現・明神嶽)と会津の山々を巡り、第29代欽明天皇13年(552)に高田南原(現・境内高天原)に遷られ、同21年(560)現在の宮地に鎮座されました。以来千四百有余年、大毘古命、建沼河別命 父子も合祀し、四柱の大神を伊佐須美大神と称え奉りお祀り申し上げております。
伊佐須美神社
〒969-6263 福島県大沼郡会津美里町宮林甲4377
0242-54-5050
福島県会津美里町のパワースポット!伊佐須美神社【旅行VLOG、レビュー】奥州二宮、岩代一宮、会津総鎮守とされる560年に現在地に鎮座した歴史と文化!見どころ満載の境内を歩いてレポート!
駐車場
2023年10月14日、この日はファーマーズカフェFARMAR’S CAFE大芦家(おおあしや)でランチを済ませた。
そこから車で、2023年9月10日に開通したばかりの博士峠(はかせとうげ)トンネルを抜ける。
会津若松市と昭和村は国道401号によって結ばれていますが、途中の博士峠は道幅が狭く、さらに急カーブや最大12%の急勾配があったりと、走りにくい山道が続きます。さらに冬期は通行止めとなるため、昭和村から会津若松市の病院へ救急搬送する際は大きな迂回を余儀なくされてきたといいます。
4.5kmの「博士トンネル」ついに開通! クネクネ峠道の解消で昭和が近くに!? 新バイパスへの反響は | くるまのニュース から引用
磐梯山(ばんだいさん)が見えてきた。
伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)に到着。
駐車場は舗装されていないが、とても広い。
最高点の標高: 833 m
最低点の標高: 234 m
累積標高(上り): 418 m
累積標高(下り): -782 m
総所要時間: 00:42:19
境内
朱塗りの鳥居が印象的だ。
由緒書き。
奥州二宮、岩代一宮、会津総鎮守とされる。
崇神天皇10年に大毘古命とその子である建沼河別命が、国家鎮護の神として伊弉諾尊と伊弉冉尊を奉斎した事に始まると伝えられる。
560年に現在地に鎮座した。
岩代国(いわしろのくに)は東北戦争終結直後に陸奥国より分立した国で、現在の福島県西半部にあたる。
奥州二宮だが、岩代国では一宮とされる。
全然分かっていないおじい。
宝物館がある。
国の重要文化財の朱漆金銅装神輿などが展示されている。
楼門。
彩色された神像が納められている。
参拝
拝殿。
内部はこんな感じ。
「飛竜の藤」の横に「厄割石」がある。
厄割立り玉に自分の名前を掘って、厄割石に投げて割るといいそうだ。
厄祓いは、この厄割立り玉に自分の名前を掘って、厄割石に投げて割ります。体に払いたい病気とかある場合はそこを撫でてから投げると良いそうで、私撫でるところが多すぎて大変
本殿奥にあるのは2008年の火災で焼失した社殿跡。
その横は「天海僧正手植檜」
縁結びの紅葉。
天正6(1571)年に帰省した天海大僧正が、母親の病気回復を祈願して植えられたと伝わり、幹回りは約5mあります。
会津五桜の1つ「薄墨桜(うすずみざくら)」が立つ。
伊佐須美神が明神ヶ岳から遷座して以来の神木だと伝わる。
智恵の神様「菅原神社(すがわらじんじゃ)」
最高点の標高: 235 m
最低点の標高: 234 m
累積標高(上り): 1 m
累積標高(下り): -1 m
総所要時間: 00:10:46
車で先に進んだ。
最高点の標高: 582 m
最低点の標高: 72 m
累積標高(上り): 765 m
累積標高(下り): -850 m
総所要時間: 01:24:38