可睡斎とは
可睡斎(かすいさい)は、静岡県袋井市久能(しずおかけんふくろいしくの)にある曹洞宗の寺だ。
遠州三山の1つで、本尊は聖観音(しょうかんのん)
応永8年(1401年)に如仲天誾(じょちゅうてんぎん)禅師が開山した600年の歴史を刻む名刹です。聖観世音菩薩を御本尊とし、高祖承陽大師と太祖常済大師が両祖です。徳川家康との故事により「可睡斎」と称され、秋葉の火伏として信仰を集める秋葉総本殿三尺坊大権現を祀る禅道場です。
秋葉総本殿 可睡斎 公式ホームページ から引用
可睡斎
静岡県袋井市久能2915−1
0538-42-2121
駐車場
2023年1月12日、この日は医王山薬王院油山寺(いおうざんやくおういんゆさんじ)に参拝した。
そこから車で、可睡斎(かすいさい)にやってきた。
駐車場は有料だが、100円と安い場所を見つけた。
最高点の標高: 39 m
最低点の標高: 16 m
累積標高(上り): 36 m
累積標高(下り): -56 m
総所要時間: 00:07:42
ここから少し歩く。
可睡斎
「徳川家康公深きゆかりの禅寺」の石柱。
可睡斎の第11代住職仙隣等膳は、小僧時代に臨済寺にいた。
今川義元の人質となっていた松平竹千代(後の徳川家康)の教育を受け持った。
総門。
まず案内看板でルートを確認。
1401年に恕仲天誾(じょちゅう てんぎん)によって開山された。
曹洞宗の寺で遠州三山の1つとされている。
本尊は聖観音(しょうかんのん)
由緒書き。
浜松城主となった家康は、仙隣等膳和尚を城に招いた。
ところが話をしている最中に、和尚は居眠りを始めてしまった。
家康は「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚 、眠るべし」と言った。
以来、和尚は「可睡和尚」と呼ばれた。
いつしか東陽軒であった寺の名も、可睡斎となった。
境内
山門まで歩いてきた。
1月1日〜3月31日まで「雛まつり」が開催されている。
山門は2010年に建立された。
建築界の重鎮であった伊東忠太氏により設計された山門です。昭和10年(1935年)に設計された設計図をもとに平成22年(2010年)に完成しました。山門両脇に鎮座する金剛力士像の阿形像と吽形像は、憤怒の相をしています。山門をくぐりぬける前に上を見上げると、梁に阿吽の獅子が二対顔を見合わせています。屋根部分には、大の妖怪好きでもあった伊東忠太氏の、遊び心あふれる表情豊かな妖怪たちが並んでいます。
境内案内 | 秋葉総本殿 可睡斎 から引用
拝観料込みで1,500円の精進料理があるようだ。
いつでも食べられるおじい(苦笑)
おさすり大黒。
輪蔵堂。
内部にある輪蔵を時計回りに一回転させると「大蔵経」を読んだことと同じ功徳を得られるとされている。
露盤宝珠を乗せた八角堂である輪蔵堂の中には、大きな輪蔵があります。輪蔵を、ゆっくりと時計回りに一回転させると「大蔵経」を読んだことと同じ功徳を得られるとされています。輪蔵堂の最奥には、転輪蔵の創始者である傅大士の像が祀られています。傅大士は俗に「笑い仏」と呼ばれ、主に経典や書物を保管する経蔵に祀られています。平成18年(2006年)の伽藍修復工事の一環で移築した際、建設当時の棟札が発見され、四十八世日置黙仙禅師の発願により、大正8年(1919年)に四十九世秋野孝道禅師が上棟と判明しました。
境内案内 | 秋葉総本殿 可睡斎 から引用
なかなか重いです。
本堂は「法堂」と称されている。
位牌堂。
石段の先が、御真殿(ごしんでん)
大黒堂の前に、巨大な下駄があった。
大黒堂の内部はこんな感じ。
天狗の銅像がある。
秋葉三尺坊大権現(さんしゃくぼうだいごんげん)の御真躰を祀り、火防の総本山とされる。
秋葉総本殿である御真殿に向かう階段の途中の両脇には、天狗像が睨みをきかせています。御真殿は、1300年の歴史を持つ秋葉三尺坊大権現様の御真躰を祀る火防の総本山です。向拝には、有栖川宮幟仁親王による「秋葉総本殿」の扁額が黄金に輝いています。拝殿には、数々の天狗の面や、掛け軸、徳川家康公と仙隣等膳和尚の「睡る可し(ねむるべし)」の一場面を描いた絵が飾られ、全国から火防や幸福を願う多くの参拝者が絶えません。一般の方の御祈祷も受け付けています。365日休むことなく、朝、昼、夜のお勤めを行っており、その声は境内に響き渡ります。
境内案内 | 秋葉総本殿 可睡斎 から引用
明治の神仏分離で遷座された。
秋葉三尺坊大権現の御真躰を祀る、日本唯一の霊場になっている。
神道の秋葉神社の総本山は、秋葉山本宮秋葉神社だ。
秋葉山本宮秋葉神社は東海随一の霊山との呼び声も名高い秋葉山を神体山と仰ぎ、創建は和銅2(西暦709)年と伝えられております。
秋葉山本宮秋葉神社 から引用
位牌堂の前にあるスコップがデカイ。
堂内
宝物館以外は撮影OKだそうだ。
ひなまつり会場に入る。
なんと雛人形がお坊さん。
本堂に入った。
さらに地下通路を通る。
迷路のようだ。
天井が低く、おじいは頭が当たりそうだ。
僧堂に到着。
坐禅堂として、修行の場となっている。
おばあにビシッとやりたいです。
観音堂に到着。
本堂に戻ってきた。
エスカレーターを上がる。
御真殿(ごしんでん)まで歩いてきた。
さっき参拝してきた秋葉総本殿だ。
開山堂。
高祖廟。
東司
立派な雛人形が飾られている。
中庭。
10万坪の敷地があるそうだ。
東司(とうす)まで歩いてきた。
日本一大きい東司だそうだ。
大庭園を左手にして廊下を進んだその先に、昭和12年に完成した、日本一の大東司と謳われる男女兼用の水洗トイレがあります。水洗トイレが珍しかった当時は、このトイレを一目見ようと大勢の人が押し寄せたと言われています。
内部には烏蒭沙摩明王像(うすさまみょうおう)が立っている。
水洗トイレが珍しかった当時は、このトイレを一目見ようと大勢の人が押し寄せた。
全国でも珍しいトイレのお札がある。
禅寺ではトイレを東側に設置したことから、東司と呼ばれるそうだ。
禅のお寺ではトイレのことを「東司(とうす/とんす)」と呼びます。東司は東側をつかさどる建物を意味し、建物の東側にトイレを設置したことから、東司=トイレを指すようになったようです。
ひなまつり
ひなまつり会場まで歩いてきた。
何じゃこれは!
日本最大級の32段1,200体の雛人形だそうだ。
ここは瑞龍閣という1937年に建築された、総檜造りの二階建ての建物だ。
瑞龍閣は、
昭和12年(1937年)に建築された、総檜造りの二階建ての建物で、安土桃山時代を彷彿とさせる書院造り風です。築地本願寺の本堂を復興させた建築家伊東忠太の弟子である金子清吉が設計を手掛け、平成26年(2014年)に国の登録有形文化財に指定されました。一階の6部屋を歩くと、まるで迷宮に迷い込んだような気持ちになります。二階には50畳の広間「牡丹の間」「菊の間」、合わせて100畳の大空間が広がっています。2部屋の境にある欄間彫刻や、折り上げ格天井から吊るされた和製シャンデリアが豪華です。また、窓の外を眺めると、袋井の町並みが眼下に広がります。
瑞龍閣 | 秋葉総本殿 可睡斎 から引用
国の登録有形文化財に指定されている。
大河ドラマのPRをしている。
可睡斎の逸話を表した人形があった。
これらは全部爪楊枝で作っているそうだ。
工事中で見られなかった掛川城も見られた(苦笑)
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、らしい(笑)
雛のつるし飾りがあった。
吊るし雛が始まったのは、江戸時代といわれています。
その頃、特別裕福ではない一般のお家では、雛人形はとても高価なもので、なかなか手に入らないものでした。だけど、生まれてきた子供の幸せを願う気持ちはみんな一緒。
だから、お母さんやおばあちゃん、叔母さんから近所の人たちまで、みんなで少しずつ小さな人
精進料理
精進料理をいただく。
こんな感じ。
なかなか盛りだくさんですね。
箸も可睡斎の名前入り。
恐山の宿坊を思い出した。
黒豆には金粉。
東陽軒
食事を終え、東陽軒まで歩いてきた。
もともとは東陽軒と呼ばれていたが、和尚の逸話から可睡斎となった。
現在は地蔵堂として使われている。
可睡斎に入る総門の手前の参道脇に立つ、一見可睡斎に関係のないようにも思えるひっそりとした入母屋造瓦葺の地蔵堂。五世太路一遵が如仲天誾禅師について出家し、久野城外の松樹下の大通庵を探り当て、坐禅をしていたところ、毘沙門天から奇瑞を感得し、お告げ通りお堂を建て、東陽軒と名付けました。これが可睡斎のはじまりと言われています。現在は、修行僧達が可睡僧堂へ上山するために、旅装を整え、決意を固め直す大切な場となっています。
境内案内 | 秋葉総本殿 可睡斎 から引用
車で先に進んだ。
最高点の標高: 41 m
最低点の標高: 19 m
累積標高(上り): 59 m
累積標高(下り): -59 m
総所要時間: 01:16:12