油山寺/静岡県袋井市【遠州三山】行基が開基し、源頼朝が寄進した眼と足腰にご利益がある寺

医王山薬王院油山寺

油山寺とは

医王山薬王院油山寺(いおうざんやくおういんゆさんじ)は、静岡県袋井市村松(しずおかけんふくろいしむらまつ)にある真言宗智山派の寺だ。

遠州三山の1つで、本尊は薬師如来。

油山寺の由来 | 目の霊山 油山寺遠州三山の一つ医王山薬王院油山寺(いおうざんやくおういんゆさんじ)は、大宝元年(701)に行基大徳によって開山された真言宗のお寺です。すべての人の穏やかな暮らしと無病息災を祈り、行基大徳は本尊の薬師如来を奉安されました。
油山寺という名前は、昔この山から油が湧き出ていたため「あぶらやま」と呼ばれていたことに由来しています。

油山寺の由来 | 目の霊山 油山寺 から引用

749年に孝謙天皇が眼の病気を患い、ここの霊水で眼を洗ったところ、病気が全快した。

このため、眼にご利益があると信仰されている。

油山寺の由来 | 目の霊山 油山寺天平勝宝元年(749)、孝謙天皇が御眼の病気を患った折、当山の本尊である薬師如来に眼病平癒を祈願されました。
境内を流れる「るりの滝」に加持祈祷を行い、この霊水で御眼を洗ったところ、病気が全快したといいます。このことから、当山は孝謙天皇より勅許をいただき、勅願寺となりました。
その後、歴代の天皇をはじめ諸大名からも尊信を厚く受け、境内には眼病平癒のお礼として寄進された建築物の数々が残っています。
現在も眼を守護する仏様、または心の病を癒し心眼を開く「心身安楽」の仏様をおまつりするお寺として、人々から深く信仰を集めています。

油山寺の由来 | 目の霊山 油山寺 から引用

油山寺
静岡県袋井市村松 1番地
0538-42-3633

油山寺/静岡県袋井市【遠州三山】行基が開基し、源頼朝が寄進した眼と足腰にご利益がある寺【旅行VLOG】重要文化財,行基,天狗杉,軍善坊大権現,天狗谷,三重塔,るりの滝,源頼朝,安土桃山期の三名塔

駐車場

2023年1月12日、この日は法多山尊永寺(はったさん そんえいじ)に参拝した。

法多山尊永寺/静岡県袋井市【遠州三山】東海一の厄除観世音に参拝し名物の厄除だんごは絶品
法多山尊永寺は、静岡県袋井市豊沢にある高野山真言宗別格本山の寺だ。本尊は正観世音菩薩。遠州三山の1つで、「法多山」の名で広く知られている。今川氏の庇護を受け、豊臣秀吉や歴代徳川将軍が安堵した。東海一の厄除観世音だそうだ。名物の「厄除だんご」を購入。

そこから車で、油山寺(ゆさんじ)にやってきた。そこから車で 油山寺 ゆさんじ にやってきた

駐車場は無料で、とても広い。駐車場は無料で とても広い

合計距離: 8679 m
最高点の標高: 70 m
最低点の標高: 9 m
累積標高(上り): 55 m
累積標高(下り): -86 m
総所要時間: 00:18:57
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境内

山門は1659年に建立された掛川城の大手二之門を移築したものだ。山門は1659年に建立された掛川城の大手二之門を移築したものだ

国の重要文化財に指定されている。

重要文化財のご案内 | 目の霊山 油山寺山内の入り口に構える山門は、元は掛川城の大手門でした。万治2年(1659)に井伊直好(なおよし)公によって建てられ、明治6年(1873)廃城令の際に城主であった太田備中守が眼病平癒のお礼として、当山に寄進し移築されました。一層の屋根が表裏にある二層片潜付城門は、全国的にも珍しい造りであるといわれています。屋根の最上部を飾る鯱鉾(しゃちほこ)は江戸時代初期の名作といわれ、国の重要文化財に指定されています。鯱鉾は現在、方丈にて見ることができます。昭和46年(1971)、山門の復元修理を行いました。

重要文化財のご案内 | 目の霊山 油山寺 から引用

由緒書き。由緒書き

701年に行基によって開山された。

749年に孝謙天皇が眼の病気を患い、ここの霊水で眼を洗ったところ、病気が全快した。

本尊は薬師瑠璃光如来。

山号は医王山(いおうざん)で、清瀧寺(きよたきじ)と同じだ。

清瀧寺 ⇒ 四国八十八ヶ所霊場35番札所と松尾八幡宮に参拝
清瀧寺とは 清瀧寺(きよたきじ)は、高知県土佐市高岡町丁(こうちけんとさしたかおかちょうてい)にある真言宗豊山派の寺だ。 四国八十八ヶ所...

清瀧寺の本尊は厄除薬師如来なので、少し違っている。

片潜付の櫓門で前後に軒屋根のあるのは全国にも珍しく、県下唯一だという。片潜付の櫓門で前後に軒屋根のあるのは全国にも珍しく 県下唯一だという

参道には出世薬師など多くのお堂が並ぶ。参道には出世薬師など多くのお堂が並ぶ

筆塚を発見。筆塚を発見

画伯は参拝しておかねば(笑)

まず案内看板でルートを確認。まず案内看板でルートを確認

かなり登りそうだ(汗;)

おじい殺しですね。

天狗杉が展示されていた。天狗杉が展示されていた

樹齢1100年と言われ、守護神「軍善坊大権現(足腰の神)」由縁の霊木だったそうだ。

かつて天然記念物に指定されていた樹齢 1100 年と 言われる天狗杉は、守護神「軍善坊大権現(足腰の神)」 由縁の霊木です。台風による崖崩れで倒れてしまいま したが、巨大な根は、今なお保存展示されています。

から引用

宝生殿

礼拝門の由緒書き。
礼拝門の由緒書き

1810年に生まれた庄屋気賀林は茶園を開墾し、その功績を称えてこの門を移築したそうだ。1810年に生まれた庄屋気賀林は茶園を開墾し その功績を称えてこの門を移築したそうだ

宝生殿。宝生殿

1738年に建立された。

方丈。方丈

1764年に建立され、遠江浅羽代官所から移築された。

749年に孝謙天皇が眼の病気を患い、ここの霊水で眼を洗ったところ、病気が全快した。

このため、眼にご利益があると信仰されている。このため 眼にご利益があると信仰されている

ここには波切不動明王や四天王、十三仏が納められている。

「ごりやくめぐり」もある。ごりやくめぐり もある

がん封じ十一面観世音菩薩。がん封じ十一面観世音菩薩

絵馬はこんなデザイン。絵馬はこんなデザイン

眼だけでなく、足のご利益もある。眼だけでなく 足のご利益もある

軍善坊大権現が祀られている。

天狗谷

ここから天狗谷を抜けて本堂に向かう。ここから天狗谷を抜けて本堂に向かう

おばあがショックを受けています。

ここは三重塔が有名なんだ。

天狗谷と呼ばれ、一万年前の姿をとどめる貴重な森林だという。天狗谷と呼ばれ 一万年前の姿をとどめる貴重な森林だという

るりの滝まで歩いてきた。るりの滝まで歩いてきた

孝謙天皇が御眼病の折、この滝の霊水で御眼を洗ったところ完治したと伝えられている。

ここで滝行をするのだろう。

押すなよ、絶対に押すなよ。

バテバテのおじい。バテバテのおじい

三重塔まで歩いてきた。三重塔まで歩いてきた

源頼朝より寄進され、現在のものは1611年の再建で「安土桃山期の三名塔」の一つに数えられている。

国指定重要文化財。国指定重要文化財

参拝

大師堂。大師堂

行基が創建したとき、油が湧出した所から「油山寺」の名がついた。

軍善坊大権現は足腰の神として古来より東海道を往来する旅人の信仰を集めている。

薬師本堂に到着。薬師本堂に到着

701年に行基によって開山された。

元は源頼朝より寄進され、1739年に再建されたものだ。元は源頼朝より寄進され 1738年に再建されたものだ

本堂内の薬師如来厨子は、今川義元から寄進された厨子の中に、秘仏である本尊の薬師如来が安置されている。

国指定重要文化財になっている。

内部はこんな感じ。内部はこんな感じ 2

本尊は瑠璃光薬師如来。本尊は瑠璃光薬師如来

その隣に、足腰の守護神とされる軍善坊大権現が祀られている。その隣に 足腰の守護神とされる軍善坊大権現が祀られている

お堂の横に、柱石があった。お堂の横に 柱石があった

静岡県指定文化財になっている。静岡県指定文化財になっている

鐘楼。鐘楼

多聞天堂まで戻ってきた。多聞天堂まで戻ってきた

車で先に進んだ。

可睡斎/静岡県袋井市【遠州三山】家康の目前で居眠りをした豪傑和尚の寺でひなまつりの精進料理をいただく
可睡斎は、静岡県袋井市久能にある曹洞宗の寺だ。遠州三山の1つで、本尊は聖観音。浜松城主となった徳川家康は目前で和尚が居眠りをしたのを見て「和尚 、眠るべし」と言ったことから、可睡斎と呼ばれるようになった。ここで精進料理をいただく。
合計距離: 1117 m
最高点の標高: 86 m
最低点の標高: 39 m
累積標高(上り): 56 m
累積標高(下り): -56 m
総所要時間: 00:28:02
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