正法寺大仏殿
2024年5月8日、この日は岐阜城(ぎふじょう)まで金華山(きんかざん)を周回してきた。

七曲登山道から、岐阜の街を歩いて行く。
【岐阜市観光】川原町の古い町並みを歩いてみた!日本三大仏のひとつ正法寺の岐阜大仏!織田信長ゆかりの岐阜公園!鵜飼いの船着き場!【旅行VLOG、レビュー】レトロで歴史的な街並みを歩いてみよう!
正法寺(しょうぼうじ)にやってきた。
岐阜大仏(ぎふだいぶつ)と呼ばれる大仏殿が特徴的だ。
江戸時代後期に、塑造・漆箔により造立された国内最大規模の籠大仏です。第11代惟中和尚と、第12代肯宗和尚の二代にわたる約38年の歳月を費やし、1832(天保3)年に開眼供養が行われたと言われています。
大仏は、胎内の骨格を木材で組み、竹材を編んで外形を作ります。その上に粘土を塗り、惟中和尚が各地で集めた一切経を貼り付け、さらに漆と金箔を重ねて仕上げています。また、「大真柱」と呼ばれる周長6尺(直径約57cm)の銀杏の木の柱を大仏の背面に建て、台座から胎内を通して大仏殿第3層の下部まで垂直に立てて支えています。
正法寺大仏殿
〒500-8018 岐阜県岐阜市大仏町8−6
058-264-2760
岐阜大仏(ぎふだいぶつ)は日本三大仏のひとつとされる。
乾漆仏としては日本一の大きさを誇る。
駐車場は5台分ある。
天保3年4月(1832年)、実に38年の歳月を費やして完成した。
堂の高さ23.6m、仏像は坐像で、高さ13.63m、耳の長さ2.12m、鼻の高さ0.36m。
拝観料は200円。
岐阜公園
岐阜公園まで歩いてきた。
山内一豊と千代婚礼の地のモニュメントがあった。
高知県民としては外せない観光スポットだ(笑)
岐阜城のある岐阜公園内に山内一豊と千代婚礼の地のモニュメントがあります。
平成18(2006)年の大河ドラマ「功名が辻」にちなんで建てられました。
永禄10(1567)年、一豊は信長の家来として岐阜に移り、岐阜城に居を構え千代と結婚しました。
内助の功により、一豊を出世に導いた千代を顕彰しています。
この石碑に夫婦いっしょに手を添えてさわると、一豊・千代にあやかり、夫婦円満になれるといわれているそうです。
千代はへそくりで名馬を購入し、織田信長がその馬に乗る山内一豊を注目したことから最後は土佐藩主にまで出世した。
今回は金華山に歩いて上ったが、ここからロープウェイで山頂まで行ける。
岐阜公園総合案内所まで歩いてきた。
公園総合案内所
〒500-8003 岐阜県岐阜市大宮町1丁目43
2025年3月末までに、ここに岐阜城楽市楽座をつくるそうだ。
岐阜市の金華山のふもとに広がる岐阜公園の魅力を高め、新たなにぎわいを生み出そうと、市は民間の資金やノウハウを生かした再整備を進めている。今月5日には再整備の事業者について、名古屋鉄道(名古屋市)を代表法人とする11の法人グループを選定したと発表。戦国時代に岐阜城を拠点とした織田信長が、この地で展開した「楽市楽座」をイメージした施設を造るという。2025年3月末の供用開始を目指す。
現在は案内所と無料休憩所が開放されている。
若き日の織田信長像。
長崎平和祈念像の作者としても有名な彫刻家・北村西望の作。
ここ岐阜公園の北の正門の前にはのう、長崎平和祈念像の作者としても有名な彫刻家・北村西望作のわしの像があるぞ。わしは若き頃、山野を駆け回り、乗馬に鉄砲、水練をして鍛錬したものじゃ。その頃の快活な佇まいを表現したのが、この「若き日の織田信長像」じゃ。
1988年(昭和63年)に岐阜市制100周年を記念して建てられた。
川原町
川原町広場を歩いて行く。
桜の季節はきれいそうだ。
幌尻岳(ぽろしりだけ)に行く気満々のおばあ。
川原町は長良川の川湊として発展した。
古くは中河原と呼ばれ、表通りは中世からの古い道筋。
斎藤道三、織田信長の時代には市場が開かれていた。
長良橋南詰の鵜飼観覧船のりばから西へ続く「湊町・玉井町・元浜町」は通称「川原町」といい格子戸のある古いまちなみが今も残っています。
狭い間口に長い奥行きという昔ながらの日本家屋が軒を連ねるこの辺りは、昔、長良川の水運を利用した川港として栄え、多くの商店で賑わっていました。現在でも、伝統工芸品「岐阜うちわ」を製造販売しているお店や、岐阜銘菓「鮎菓子」で知られる和菓子店などが、レトロな雰囲気を残したまま営業しています。
川原町の古い町並み
〒500-8008 岐阜県岐阜市玉井町
058-266-5588
格子戸のある古いまちなみが今も残っている。
狭い間口に長い奥行きという昔ながらの日本家屋が軒を連ねる。
伝統工芸品「岐阜うちわ」を製造販売しているお店などが点在する。
洋館は結婚式場だという。
川原町倶楽部 ラ・ルーナ ピエーナ
〒500-8008 岐阜県岐阜市玉井町21−1
0120-850-474
きれいな街並みだが、誰も歩いていない(汗;)
良い通りですよね、風情があって。
庚申堂があった。
1560年(永禄3年)に斎藤義龍が伝燈護国寺をこの地に建立し、その後廃寺となり庚申堂が出来た。
美濃六庚申堂という。
庚申堂の使いは猿だ。
後藤邸。
十八楼 時季の蔵という土蔵レストランがあった。
向かいの十八楼が営業している。
4つ星ホテルで、予算が合わなかったそうだ(苦笑)
鵜飼い観光船の事務所まで歩いてきた。
料金は3,500円。
「長良川艶歌」の歌碑があった。
そんな歌、知りません。
おじい世代にはたまらない(苦笑)
ずらりと鵜飼いの舟が並んでいる。
残念ながら、鵜飼いは5月11日からだ。
ぎふ長良川の鵜飼は、毎年5月11日から10月15日まで、鵜飼休みの1日を除いて毎日開催しています。
毎年7月中旬から9月中旬までは、たくさんの方にご乗船いただいており、大変混み合う時期となっています。
おすすめは、6月と9月下旬です。この時期は、出船数もさほど多くないうえに、季節的にも大変過ごしやすいため、鵜飼観覧にはうってつけです。
よくある質問 – ぎふ長良川の鵜飼 から引用
車で先に進んだ。
