親不知・子不知とは
親不知・子不知(おやしらず・こしらず)は、新潟県糸魚川市市振(にいがたけんいといがわしいちぶり)にある景勝地だ。
天下の険として有名な親不知、子不知海岸。親不知駅を中心とする青海駅、市振駅間約15kmの総称で、親不知駅・市振駅の間が親不知、親不知駅・青海駅の間が子不知と呼ばれています。
親不知レンガトンネル
〒949-0111 新潟県糸魚川市市振
大正時代のレンガトンネルが残る!最大の難所とは?【観光】天下の険と恐れられた親不知を歩いてみた!【旅行VLOG、レビュー】参勤交代で藩主は波打ち際を、明治天皇は山道を歩くしかなかった屈指の難所!
駐車場
2024年10月31日、この日は新潟県糸魚川市(にいがたけんいといがわし)にある道の駅親不知(おやしらず)ピアパークに立ち寄った。
そこから車で、国道8号線を走る。
断崖絶壁の難所を通る。
親不知 無料駐車場に到着。
駐車場は10台ほど停められそうだ。
トンネルを抜けてすぐなので要注意。
親不知 無料駐車場
〒949-0111 新潟県糸魚川市市振
親不知(おやしらず)は北陸道最大の難所とされる。
飛騨山脈(北アルプス)が日本海に落ち込む部分で断崖の連続だ。
崖の高さは300〜400mほどある。
国の名勝「おくのほそ道の風景地 親しらず」に指定されている。
ここからホテルの前を通って歩いて行く。
周遊コースのコースタイムは60分。
親不知コミュニティロード
親不知観光ホテルの前からスタート。
前回ここに来た時は土砂降りで、全く外に出られなかった。
歌碑がある。
見つけられなかった(汗;)
ここは四世代道路が見える場所。
初代は波打ち際の北陸道、二世代目は明治時代に建設された旧国道であるコミュニティロード、三世代目は現在の国道8号、そして四世代目が北陸自動車道。
親不知コミュニティロードからは四世代にわたる道を一望できます。四世代とは、まず波打ち際の北陸道、二世代目は明治時代に建設された旧国道であるコミュニティロード、三世代目は現在の国道8号、そして四世代目が北陸自動車道です。
天険 親不知見学 – 新潟県ホームページ から引用
かつて越後国と越中国の間を往来する旅人は、この断崖の下にある海岸線に沿って進まねばならなかった。
波間を見計らって狭い砂浜を駆け抜け、大波が来ると洞窟などに逃げ込んだが、途中で波に飲まれる者も少なくなかったといわれる。
加賀藩主が参勤交代で通行する際には、400〜500人の波除人夫が集められ、人垣により波濤を防いで通行した。
W・ウェストン像の説明。
イギリスの宣教師で、日本山岳会の設立をすすめるなど日本登山の登展に大きく貢献した。
上高地にレリーフがあった。
如砥如矢(とのごとく やのごとし)と岩壁に刻まれている。
砥石のように平らで矢のように真っ直ぐ通れるという意味。
この下に旧国鉄のトンネルが残っており、この道は旧国道8号線で3種類の防護柵が残っている。
83年間国道として使われ、現在は親不知コミュニティロードという遊歩道になっている。
旧国道8号線が遺構として残っている。
親不知レンガトンネル
親不知レンガトンネルに下りていく。
熊鈴が要るような場所じゃないですかね。
レンガトンネルまで下りてきた。
大正元年(1912)に竣工した。
はつかりを まつとはなしに この秋は 越路のそらの ながめられつつ
1878年に明治天皇が行幸された。
安全を考慮し海沿いではなく山道を輿を下りて通られた。
陛下に山道を歩かせたことを悔やみ、新に道が作られた。
親不知レンガトンネルは現在は遊歩道として開放されている。
親不知コミュニティロードと連結し周回できるようになっている。
鉄道トンネルで、昭和40年に廃線となった。
天城峠を思い出しますね。
手掘りで作ったそうだ。
このトンネルもいつ崩落するか分からない。
懐中電灯の貸し出しがあった。
レンガは糸魚川の土を使って地元で作られ船で運ばれた。
土木遺産に指定されている。
海に下りることができ、海抜0メートルから北アルプスの朝日岳に登る栂海新道(つがみしんどう)となっている。
上りたくないおじいは、もちろん行かない(苦笑)
車で先に進んだ。
最高点の標高: 125 m
最低点の標高: 23 m
累積標高(上り): 104 m
累積標高(下り): -161 m
総所要時間: 00:41:02