インスブルックとは
インスブルックは、オーストリア第5の都市だ。
人口は13万人で、チロル州の州都でもある。
1964年と1976年にオリンピックが開催された。
インスブルック・オリンピック冬季競技大会(インスブルック・オリンピックとうききょうぎたいかい)とは – コトバンク
第9回オリンピック冬季競技大会。1964年1月29日から 2月9日まで行なわれ,36ヵ国から 1000人以上の選手が参加した。周到に準備されたインスブルック大会は人気を博し,観客数が初めて 100万人を突破し,世界で 10億人以上がテレビ観戦した。またオリンピックで初めてコンピュータが活用され,正確な記録管理や円滑な大会運営に役立てられた。
インスブルックに来るのは2回目だ。
前回はミュンヘン国際空港からバスでアールベルク峠を越えてきたのだが、今回は空路で訪れた。
フランクフルト空港からインスブルック空港へ
この日は羽田からフランクフルト空港に到着した。

オーストリア航空で、フランクフルト空港からインスブルックに向かう。
機材はボンバルディアだ。
高知と大阪を往復しているのと同じ機材なので、慣れている。
もっとも高知空港に胴体着陸した機種でもあるので、ツレは随分と心配していたのだが。
全日空機、高知空港に胴体着陸 トラブル多発ボンバルディア社製
2007年3月13日午前9時ごろ、大阪(伊丹)空港発高知龍馬空港行きの全日空1603便の機体の前輪が出ない状態になり、着陸前に1時間余り高知龍馬空港上空を旋回した末、10時54分に胴体着陸した。後輪から着陸し、機首周辺に火花を散らしながら滑走路上に停止した。炎上や爆発はしていない。NHKによると、同機には乗客56人、乗員4人が搭乗していたが、いずれもけがはなかったという。
使用されていたのはカナダのボンバルディア社製のDHC8-400型で、74人乗り。同機をめぐっては、トラブルによる目的地変更や出発地に引き返すなどが相次いでおり、07年に入ってからも、トラブルが原因で1回欠航したほか、2回にわたって出発地に引き返している。 06年4月には、国土交通省の担当者が、ボンバルディア社が本拠地を置くカナダを訪問、航空当局や同社に改善を求めてもいた。
面白いのが、手荷物は自分でここまで持ってきて、このコンテナに自分で積み込むことだ。
日本ではこのやり方は見たことがない。
クレームタグも自分で荷物に付けて、半券を剥ぎ取る。
なんともアバウトなやり方だ。
問題なく離陸し、インスブルックを目指す。
あいにく雲が広がっていて、景色は楽しめない。
それでも機内でコーヒーとザッハトルテが出され、ご満悦だ。
1時間足らずで、インスブルック空港に到着。
こぢんまりした空港だ。
バスで中央駅まで移動する。
30分ほどで到着した。
ここで鉄道に乗り換え、セルヴァに向かった。

インスブルック市内
今回のインスブルック訪問は、単なる乗り換えで観光はしない。
このため、前回の体験を記しておく。
まずはバスでミュンヘンから移動。
二階建てバスでアウトバーンを走ったのだが、あまりのスリルに足がつっぱっていた(笑)
インスブルックに到着し、中央駅に隣接するホテルにチェックイン。
食材を買い込み、部屋で食事する。
翌朝の朝食も、こんな感じ。
食後、黄金の小屋根まで歩いてみた。
黄金の小屋根
黄金の小屋根(おうごんのこやね、ドイツ語: Goldenes Dachl)は、オーストリア共和国チロル州都インスブルックの旧市街(ドイツ語: Altstadt)にあるランドマークとなる建築物。インスブルック市内で最も著名なシンボルとされる。1500年に完成したこの屋根は、2,657枚の金箔を貼った銅製のタイルでできており、神聖ローマ皇帝 マクシミリアン1世がビアンカ・マリア・スフォルツァと結婚したことを記念したものである。皇帝と皇妃は下の広場で開かれる祭りやトーナメント、その他催しを黄金の小屋根のバルコニーから眺めた。
市内を流れるイン川は、大変な濁流だ。
街歩きを楽しみ、ビールで一息入れる。
夕飯は、カレーを食べた。
結構本格的な味だった。
ハーフェレカールシュピッツェ
ハーフェレカールシュピッツェは、インスブルックの北側に鎮座する標高2,334mの山だ。
この時は、この山に登った。
ここからインスブルックの街並みが一望できる。
その先には、今回の旅行で行くチロルの山並みが続く。
ドイツ側は、険しい岩山だ。
山頂までの散策を楽しんだ後、ロープウェイ乗り場のレストランで昼食。
感想
小さな町だが、人口が少ない割には見所が多い印象だ。
やはり観光地として人気があるので、人口規模以上に町が大きいのだろう。
小さいながらも国際空港もあり、鉄道やバスの便も良い。
観光の起点としても、ぜひ利用したい場所だ。