氣多神社/富山県高岡市【越中国一宮】大伴家持が万葉集に詠んだ歴史ある神社

氣多神社

氣多神社とは

氣多神社(けたじんじゃ)は、富山県高岡市伏木一宮(とやまけんたかおかしふしきいちのみや)にある越中国一宮だ。

氣多神社 | 高岡市観光ポータルサイト「たかおか道しるべ」越中の一ノ宮として崇敬高い延喜式内社。三間社(さんげんしゃ)流造(ながれづくり)杮葺きの本殿は、正面に一間の向拝を付けています。4月18日の春季例大祭に奉納される通称「にらみ獅子」は頭だけがゆっくり動き、睨んだ参拝客の厄を払うとされ、市指定無形民俗文化財に指定されています。

氣多神社 | 高岡市観光ポータルサイト「たかおか道しるべ」 から引用

氣多神社
富山県高岡市伏木一宮3−1
0766-44-1836

氣多神社/富山県高岡市【越中国一宮】大伴家持が万葉集に詠んだ歴史ある神社【旅行VLOG】気多神社,行基,重要文化財,富山の名水,中部北陸自然遊歩道,大伴家持,万葉集,大己貴命,奴奈加波比売命,大伴神社

駐車場

2022年6月20日、この日は薬王院温泉寺(やくおういんおんせんじ)に参拝した。

薬王院温泉寺/石川県加賀市【寺院】行基(ぎょうき)が創建したと伝わり1300年の歴史を誇る
薬王院温泉寺は、石川県加賀市山代温泉にある寺だ。霊峰白山を祀る白山五院の筆頭寺院とされる。行基が創建したと伝わり、1300年の歴史を誇る古刹だ。温泉寺の初代住職は五十音の創始者だと言われており「あいうえおの小径」と名付けられている。山代温泉の鎮守とされる服部神社にも参拝した。

そこから車で国道6号線を走り、美川ICで北陸自動車道に乗る。そこから車で国道6号線を走り 美川ICで北陸自動車道に乗る

当初は能登半島に行く予定だったが、前日に大地震が発生し(汗;)急遽予定を変更した。

小矢部砺波JCTで能越道に入る。小矢部砺波JCTで能越道に入る

高岡北ICで下りる。高岡北ICで下りる

氣多神社(けたじんじゃ)にやってきた。

駐車場は20台ほど停められそうだ。駐車場は20台ほど停められそうだ

合計距離: 101998 m
最高点の標高: 137 m
最低点の標高: 5 m
累積標高(上り): 402 m
累積標高(下り): -388 m
総所要時間: 01:35:41
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中部北陸自然遊歩道

由緒書き。由緒書き

氣多神社は718年に行基が創建したと伝わる。

本殿は永禄年間(1558年~1570年)に再建されたもので、国指定の重要文化財になっている。

越中国一宮だ。
越中国一宮だ

駐車場の脇に、富山の名水と書かれた泉があった。
駐車場の脇に 富山の名水と書かれた泉があった

しかし煮沸して飲用するように、との注意書きがあった。
しかし煮沸して飲用するように との注意書きがあった

ここは中部北陸自然遊歩道となっている。
ここは中部北陸自然遊歩道となっている

大伴家持(おおとものやかもち)が746年に国守として赴任し、万葉集に詠まれている。

境内

参道を歩いてきた。
参道を歩いてきた

神馬。
神馬

拝殿。
拝殿

祭神は、大己貴命 (おおなむちのみこと)、奴奈加波比売命 (ぬなかわひめのみこと)
祭神は 大己貴命  おおなむちのみこと 奴奈加波比売命  ぬなかわひめのみこと

本殿は永禄年間(1558年~1570年)に再建されたもので、国指定の重要文化財になっている。
本殿は永禄年間 1558年~1570年 に再建されたもので 国指定の重要文化財になっている

大伴神社

年表があった。
年表があった

その奥に、大伴神社(おおともじんじゃ)が鎮座する。
その奥に 大伴神社 おおともじんじゃ が鎮座する

参拝を終え、階段を下りていく。
参拝を終え 階段を下りていく

とても広い境内だ。

大伴家持の顕彰碑。
大伴家持の顕彰碑

駐車場まで戻ってきたが、まとめに入るのが早すぎるとおばあに怒られた。駐車場まで戻ってきたが まとめに入るのが早すぎるとおばあに怒られた

車で先に進んだ。

射水神社/富山県高岡市【越中国一宮】高岡城跡に鎮座する神社
射水神社は、富山県高岡市古城にある越中国一宮だ。高岡城の城跡で、日本100名城、国の史跡、日本さくら名所100選に選定されている。越中国には一宮が4つあるそうだ。もとは二上村にあって、霊山である二上山そのものを「二上神」として祭神としていた。この場所に遷座してからは、瓊瓊杵尊 を祭神としている。
合計距離: 468 m
最高点の標高: 80 m
最低点の標高: 45 m
累積標高(上り): 47 m
累積標高(下り): -34 m
総所要時間: 00:14:41
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