白山比咩神社とは
白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は、石川県白山市三宮町(いしかわけんはくさんしさんのみやまち)にある神社だ。
全国約2,700社の白山神社の総本社だ。
祭神は、白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)
石川、福井、岐阜の3県にわたり高くそびえる白山は、古くから霊山信仰の聖地として仰がれてきました。ふもとに暮らす人々や遥かに秀麗な山容を望む平野部の人々にとって、白山は聖域であり、生活に不可欠な“命の水”を供給してくれる神々の座でした。
やがて山への信仰は、登拝という形に変化し、山頂に至る登山道が開かれました。加賀(石川県)の登拝の拠点として御鎮座二千百年を越える当社は、霊峰白山を御神体とする全国白山神社の総本宮です。
白山比咩神社
石川県白山市三宮町 二105−1
076-272-0680
駐車場
2022年10月1日、この日は白山里(はくさんり)温泉で入浴した。
そこから車で、白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)にやってきた。
駐車場はとても広い。
最高点の標高: 299 m
最低点の標高: 122 m
累積標高(上り): 103 m
累積標高(下り): -251 m
総所要時間: 00:26:53
南参道
広すぎて、どこから入るのかも分からない(汗;)
本来ならここに参拝してから白山に登山すべきだった。
しかし登山後の参拝となってしまった。
どうやらここは南参道で、表参道ではないようだ(汗;)
白山比咩神社は、716年に安久濤の森に遷座して社殿堂塔が造立された、と伝わる。
717年に初めて白山に登拝した泰澄(たいちょう)は、翌年山頂に奥宮を建立した。
白山信仰は急速に全国へと広まり、加賀(石川県)馬場として栄えたのが、白山比咩神社を中心とした白山七社だった。
七五三の看板があった。
加賀国一宮とされる。
境内
境内には樹齢1000年以上の杉やあすなろがそびえる。
地元では「しらやまさん」とよばれ、親しまれている。
境内は、47,000m平方メートルの広大なものとなっている。
向こうが表参道だったんだね。
奥宮の遙拝所がある。
荒御前神社 (あらみさきじんじゃ)
神門(しんもん)
参拝
幣拝殿(へいはいでん)
拝殿は、人が神様に対して拝礼する場所です。拝殿と幣殿は一体化しており、内部は総檜造りで、本殿とは30段の木階登廊で結ばれています。
幣拝殿 | 白山比咩神社 | 石川県 から引用
白山比咩神社は白山(はくさん)をご神体とし、紀元前91年、舟岡山に「まつりのにわ」が祀られてからだとされている。
祭神は、白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)
神門を抜け、表参道に向かう。
大ケヤキが立っている。
胸高周り約5m、樹高25m、推定樹齢1000年の巨木だ。
境内神門前にあり、堂々とした姿が目を引きます。胸高周り約5m、樹高25m、推定樹齢は1000年と伝わっています。(白山市指定天然記念物)
大ケヤキ | 白山比咩神社 | 石川県 から引用
荒御前神社 (あらみさきじんじゃ)も行列ができている。
祭神の荒御前大神は、神功皇后の三韓征伐の際に守護したとされる。
長い参道が続いている。
ちゃんと奥社に参っているから。
芭蕉句碑。
『風かをる 越(こ)しの白嶺(しらね)を 国の華』
元禄2年(1689)に、奥の細道の途次の松尾芭蕉が、白山の姿に感銘を受けて詠んだ句が刻まれています。
『風かをる 越(こ)しの白嶺(しらね)を 国の華 翁』
芭蕉句碑 | 白山比咩神社 | 石川県 から引用
疲れ切ったおばあには、それがちょうどいい。
北参道
帰りは南参道ではなく、北参道を行く。
授与所には、おみくじが置かれている。
鳥居の先は、大きな駐車場になっている。
この駐車場が大きかったが、我々が停めた南駐車場は最短距離だった。
由緒書き。
白山比咩大神は、菊理媛神(くくりひめのかみ)と同一神とされる。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 148 m
最低点の標高: 132 m
累積標高(上り): 19 m
累積標高(下り): -19 m
総所要時間: 00:16:57