五社神社(高知県四万十町) ⇒ 岩本寺からかつて札所だった高岡神社まで8kmウォーキング

五社神社

五社神社とは

五社神社(ごしゃじんじゃ)は、高知県高岡郡四万十町宮内(こうちけんたかおかぐんしまんとちょうみやうち)にある5つの神社だ。

五つの神社を総称して、高岡神社と言う。

正式には仁井田明神(にいだみょうじん)といい、弘法大師により五社に分けられたことから地元では五社神社とか五社さんとか呼ばれている。

五社神社 ⇒ 弘法大師ゆかりの地を巡る
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四国八十八ヶ所霊場の札所だったが、明治の神仏分離令で岩本寺が分離した。

高岡神社 五社さんのお祭り |高岡神社は、五社さんともいわれ五つの神社の集まりです。
もとは、仁井田大明神と言われる一つの社だったのを弘法大師が、五つの社に分けたと言われています。
それぞれの神社は、独立した神社で戦国時代に
仁井田(旧窪川町)を治めていた仁井田五人衆と言われる武家の神社でした

一の宮(東大宮)仁井田五人衆の東氏
二の宮(今大神宮) 仁井田五人衆の西氏
三の宮(中宮)仁井田五人衆の窪川氏
四の宮(今宮)仁井田五人衆の西原氏
五の宮(森の宮又は、聖の宮)仁井田五人衆の志和氏

高岡神社 五社さんのお祭り | から引用

祭神は
・大日本根子彦太迩尊(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)(東大宮)
・磯城細姫命(しきのくわしひめのみこと)(今大神宮)
・大山祇命(おおやまづみのみこと)、吉備彦狭嶋命(きびのひこさしまのみこと)(中ノ宮)
・伊予二名洲小千命(いよのふたなしまのおちのみこと)(今宮)
・伊予天狭貫尊(いよのあまさぬきのみこと)(森ノ宮)

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駐車場

2021年4月21日、この日は岩本寺に参拝した。

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そこから徒歩で、五社神社に向かう。

車は岩本寺の駐車場に停めたままだ。

広い駐車場があるので、問題ないだろう。
広い駐車場があるので 問題ないだろう

五社街道

これから歩く道は、霧の四万十・五社街道と名付けられている。これから歩く道は 霧の四万十 五社街道と名付けられている

土居跡(どいあと)を通過。土居跡 どいあと を通過

1500年に相模国鎌倉からここに入った山内備後守宣澄が土居(防御などを考慮した戦略的住居)を構え、窪川氏を名乗った。

ゆったりたどる 窪川のむかしさて中世、1468年、京の都から一条教房が中村へ入った32年後の1500年、相模国鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市)から山内備後守宣澄という豪族が窪川に入国し、茂串山の山頂に茂串山城を築きました。
そしてその麓に土居(防御などを考慮した戦略的住居)を構え、この地の集落名であった「窪川」を姓として、窪川氏を名乗りました。
 当時の窪川一帯は「仁井田の庄」といい、伊予(現在の愛媛県)から来た豪族である東氏、西氏、志和氏、和歌山から来た西原氏、そして鎌倉から来た窪川氏の「仁井田五人衆」や、常陸国(現在の茨城県)から土佐に入り、久礼(中土佐町)を本拠地にしていた佐竹氏、奥州(現在の岩手県奥州市)から来た南部氏などの、いわば「Iターン豪族たち」による群雄割拠の状態にありました。

 窪川氏は、仁井田五人衆の中で「最強・最大」といわれる勢力を誇っていて、他の豪族同様、中村の一条氏の配下にありましたが、一条氏が長宗我部氏に滅ぼされたことにより、その後は長宗我部氏の配下となりました。
しかし、長宗我部氏の命により従軍した「文禄の役」で、一族の後継たちが全て戦死し、窪川氏は断絶しました。

ゆったりたどる 窪川のむかし から引用

ここにかかる橋は「賃取り橋」といい、通行料を支払っていた木橋跡だ。

窪川の町歩き楽しんで 四万十町観光協会が冊子作製、案内板整備中|高知新聞通り名看板は7カ所。江戸期に桜並木があった「桜町通り」、商家や風呂屋が立ち並んでいた「元町通り」、通行料を支払っていた木橋跡「賃取り橋跡」など、地元住民も知らない町の成り立ちも盛り込んでいる。

窪川の町歩き楽しんで 四万十町観光協会が冊子作製、案内板整備中|高知新聞 から引用

四万十川沿いに歩いて行く。四万十川沿いに歩いて行く

窪川橋(くぼかわばし)を渡る。窪川橋を渡る

窪川はお米の産地として有名で、今年のコンテストで2位となった。

四万十町・仁井田米やっぱり美味! 全国コンテスト3大会で金賞|高知新聞山形県庄内町などが主催する「第14回あなたが選ぶ日本一おいしい米コンテスト」では、「仁井田郷米クラブ」の福留良幸さん(65)のにこまるが、プレミアム部門で2位に相当する優秀金賞を獲得した。

四万十町・仁井田米やっぱり美味! 全国コンテスト3大会で金賞|高知新聞 から引用

大三島神社

道中にあった大三島神社(おおみしまじんじゃ)に参拝する。
道中にあった大三島神社 おおみしまじんじゃ に参拝する

祭神は、大山祇命(おおやまづみのみこと)だ。

大三嶋神社元禄3年(1690)窪川牧主伊賀越知某伊予大三島分霊をここに勧請、当地域の産土神。

大三嶋神社 から引用

五社神社

五社神社のひとつ、高岡神社森ノ宮に到着。五社神社のひとつ 高岡神社森ノ宮に到着

社殿が新しくなっていて驚いた。社殿が新しくなっていて驚いた

この森ノ宮の祭神は、伊予天狭貫尊(いよのあまさぬきのみこと)

仁井田五人衆の志和氏の神社だった。

今宮

高岡神社今宮にやってきた。高岡神社今宮にやってきた

仁井田五人衆の西原氏の神社だ。

祭神は、伊予二名洲小千命(いよのふたなしまのおちのみこと)

中宮

そのまま高岡神社中宮に参拝する。そのまま高岡神社中宮に参拝する

仁井田五人衆の窪川氏の神社だ。

祭神は、大山祇命(おおやまづみのみこと)、吉備彦狭嶋命(きびのひこさしまのみこと)

兒安花神社

五社神社に囲まれるように、兒安花神社(こやすはなじんじゃ)が鎮座する。五社神社に囲まれるように 兒安花神社 こやすはなじんじゃ が鎮座する

安産の神、子供の守り神、縁結びの神として崇敬されている。

祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)だ。

今大神宮

高岡神社今大神宮に参拝する。
高岡神社今大神宮に参拝する

仁井田五人衆の西氏の神社だ。

祭神は、磯城細姫命(しきのくわしひめのみこと)

東大宮

高岡神社東大宮に参拝する。
高岡神社東大宮に参拝する

仁井田五人衆の東氏の神社だ。

祭神は、大日本根子彦太迩尊(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)

帰路

五社神社の駐車場前を通過。五社神社の駐車場前を通過

四万十川沿いに来た時の対岸を戻っていく。四万十川沿いに来た時の対岸を戻っていく

神ノ西遺跡(こうのさいいせき)という弥生時代の遺跡がある。神ノ西遺跡 こうのさいいせき という弥生時代の遺跡がある

神西遺跡1950年代戦後の発掘調査で神西遺跡では県中央部から西部にかけて分布する弥生中期末の土器型式が明確となった。

神西遺跡 から引用

古渓城跡(こけいじょうあと)
古渓城跡 こけいじょうあと

窪川山内氏の居城だった。

土佐 古渓山城-城郭放浪記慶長8年(1603年)山内伊賀守一吉によって築かれた。

山内伊賀守一吉は関ケ原合戦後に土佐一国に封ぜられた山内一豊の重臣で、林勝吉と名乗っていたが、”一”の字を賜り林一吉、窪川城主五千石の領主となり山内姓も与えられ山内伊賀守一吉と名乗り、窪川山内氏となった。

窪川山内氏は慶長8年(1603年)山内一豊の命によって窪川城の対岸に古渓山城を築いて居城を移したが、元和元年(1616年)一国一城令によって廃城となり、麓に土居を構えた。

土佐 古渓山城-城郭放浪記 から引用

ドラッグストアのmacで買い物。ドラッグストアのmacで買い物

エネルギーをチャージして、最後の一歩き。エネルギーをチャージして 最後の一歩き

岩本寺まで歩いてきた。岩本寺まで歩いてきた

合計距離: 7849 m
最高点の標高: 238 m
最低点の標高: 203 m
累積標高(上り): 287 m
累積標高(下り): -288 m
総所要時間: 02:26:18
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