長尾寺とは
補陀落山観音院長尾寺(ふだらくさんかんおんいんながおじ)は、香川県さぬき市長尾西(かがわけんさぬきしながおにし)にある天台宗の寺だ。
四国八十八ヶ所霊場第87番札所で、本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)
開創は聖徳太子という説もありますが、天平十一年に行基菩薩の説が一般的。行基がこの地を歩いていると道端に楊柳の霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を彫造し本尊としました。その後、弘法大師がこの寺を訪れ、入唐が成功するように年頭七夜に渡り護摩祈祷を修法して国家安泰と五穀豊穣を祈願されました。その祈願は現在にも受け継がれ、毎年正月の七日には「大会陽」が盛大に開催されています。
駐車場
2020年11月13日、この日は志度寺に参拝した。
そこから車で、長尾寺にやってきた。
駐車場はとても広い。
第87番札所ということで、順番に回っていたら大詰めだ(区切り打ちだけど)
境内
駐車場から境内までは塀もなく、だだっ広いグラウンドのような感じだ。
山門に大きな木が立っている。
長尾寺のクスノキで香川の保存木に指定されていて、樹高19m、胸高幹周5.45mあるそうだ。
いったん山門を出て、正面から眺めてみた。
古い石碑は、元冦の役出征将兵の霊を慰めるために建てられた「経幢」
仁王像は、ここまで歩いて来たと言う伝説が残っている。
参拝
本堂。
本尊の聖観世音菩薩は秘仏とされ、讃岐国七観音随一に指定されているそうだ。
大師堂。
薬師堂。
境内には静御前剃髪塚もある。
香川県東かがわ市には次のような言い伝えがある。愛児を殺され、生きる望みを失った静は自殺を考えたが、母磯野を伴っていたため、それもかなわなかった。文治3年8月、母の故郷である讃岐国入野郷小磯(現・東かがわ市小磯)へ母と共に帰り、文治4年3月、讃岐国井閇郷高木(現・香川県木田郡三木町井戸高木)にある長尾寺において宥意和尚から得度を受けた。剃髪後、母は磯野尼、静は宥心尼とそれぞれ名を改め、薬師庵において信仰の日々を送るようになった。後年、母磯野尼は長尾寺への参詣の帰り、井戸川の畔で寒さと老衰のため倒れ、69歳で亡くなり、まもなく静も母の後を追うように建久3年3月、義経に逢うことなく24歳の短い生涯を閉じた。長尾寺には静親子が剃髪したときに使用したとされる剃刀を埋めた剃髪塚、井戸川橋のある県道沿いには母磯野尼の墓、昭和地区には静が俗世への想いを断ち切るために、吉野山で義経から形見としてもらった紫檀の鼓(初音)を井戸川橋に棄てたとされる「鼓ヶ淵」がある。その他、小磯には静屋敷が、三木町中代には静庵・静の本墓・位牌・下女琴柱の墓があり、同町下高岡の願勝寺にも静の墓とされるものがある[7]。
静御前 – Wikipedia から引用
納経所。
ちょうど紅葉が色づいていた。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 465 m
最低点の標高: 1 m
累積標高(上り): 2231 m
累積標高(下り): -2200 m
総所要時間: 06:03:26