高館義経堂とは
高館義経堂(たかだちぎけいどう)は、岩手県西磐井郡平泉町平泉柳御所(いわてけんにしいわいぐんひらいずみちょうひらいずみやなぎのごしょ)にある史跡だ。
1683年に仙台伊達綱村(せんだいだてつなむら)が建立した。
丘の頂上には、天和3年(1683)、仙台藩主第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てた義経堂があり、中には義経公の木造が安置されています。高館からの眺望は平泉随一といわれ、俳人・松尾芭蕉が俳句を詠んだ場所でもあります。
岩手県平泉・高館義経堂|義経堂とは から引用
高館義経堂
〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉柳御所14
0191-46-3300
弁慶の立ち往生【高館義経堂/岩手県平泉町】源義経の最期の場所として知られる史跡!【旅行VLOG、レビュー】ドラマなどでもおなじみ!松尾芭蕉が「夏草や兵どもが夢の跡」の句を詠んだ必見の場所!
駐車場
2023年10月17日、この日は毛越寺(もうつうじ)に参拝した。

そこから車で、平泉町(ひらいずみちょう)の市街地を走る。
JR東北本線を横断する。
高館義経堂(たかだちぎけいどう)にやってきた。
駐車場は舗装されていないが10台ほど停められそうだ。
高館義経堂
高館義経堂(たかだちぎけいどう)は、源義経(みなもとのよしつね)の最期の場所として知られる。
入場料は300円。
由緒書き。
藤原秀衡(ふじわらのひでひら)は源義経を頼朝(よりとも)の追っ手からかくまった。
1189年、藤原泰衡(ふじわらのやすひら)が襲撃し、義経は妻と共に自害した。
この地は奥州藤原氏の居館で衣川館(ころもがわのたて)と呼ばれた。
北上川が流れ、清衡(きよひら)の時代から絶好の要害地とされていた。
高館(たかだち)からの眺望は平泉随一といわれ、松尾芭蕉はここで俳句を詠んだ。
弁慶が立ち往生したところ。
ドラマなどでここのシーンは何度も観た。
内部には創建時に製作された木造の源義経像が納められている。
供養のため昭和61年に建てられた宝篋印塔(ほうきょういんとう)
源義経は判官(はんがん)の地位にあった。
悲劇のヒーローから「判官びいき」という言葉が生まれた。
この地は判官館(はんがんだて)とも呼ばれる。
松尾芭蕉句碑
資料館に入ってみる。
頼三樹三郎(らい みきさぶろう)の詩碑。
1846年に訪れた時に詩を読んだ。
松尾芭蕉の句碑。
「おくのほそ道の風景地」として国の名勝に指定されている。
車で先に進んだ。
