鳥居峠とは
鳥居峠(とりいとうげ)は、長野県の塩尻市奈良井と木曽郡木祖村藪原を結ぶ峠。標高は1,197 m。峠山の標高は約1,415.7 m、旧中山道の難所であった。
鳥居峠
〒399-6201 長野県木曽郡木祖村薮原
藪原駅
2024年10月20日、一昨日は道の駅大芝高原(おおしばこうげん)でランチを済ませた。
この日は車で、国道19号線を進む。
JR藪原駅(やぶはらえき)にやってきた。
JRの駅前だが無料駐車場がある。
駐車場が無料なのはありがたい。
藪原駅
〒399-6201 長野県木曽郡木祖村薮原
まず案内看板でルートを確認。
まずJRで奈良井(ならい)に移動。
そこから旧中山道を歩いて戻ってくる予定だ。
鳥居峠(とりいとうげ)越えです。
藪原駅に来るのは初めてだ。
9時11分発の列車に乗る。
駅舎内はこんな感じ。
有人駅で待合所もある。
片道200円だがSuicaは使えなかった。
こちらは名古屋方面のホーム。
跨線橋を渡って塩尻方面のホームにやってきた。
気温8度と肌寒い。
反対ホームに中津川行きが到着。
こんなに寒いのにヒマワリが咲いていた。
奈良井駅は隣。
松本行き列車が到着。
どうやらワンマン列車で最前部のドアしか開かないようだ(汗;)
続々と外国人が下車してきた。
無事に乗車できた(苦笑)
奈良井駅
以前歩いた奈良井宿の家並みが見えてきた。
一番前のドアから出るらしい。
奈良井駅に到着。
奈良井宿(ならいじゅく)は、旧中山道の江戸側の板橋宿から数えても京側の守山宿から数えても34番目に位置する、中山道の丁度真ん中の宿場町だ。
鳥居峠(とりいとうげ)は中部日本の分水嶺。
奈良井川は梓川と合流して犀川となり、信濃川に合流する。
駅舎内はこんな感じ。
ここも有人駅だ。
英語のトレイルガイドをもらった。
奈良井宿は標高900m台の河岸段丘にある木曽路十一宿の最高地点の宿場町だ。
宿場町は「奈良井千軒」と謳われ、町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
鳥居峠(とりいとうげ)は標高1,197mで、中山道屈指の難関とされてきた。
奈良井が936mだから260m。
奈良井宿を歩いて行く。
駐車場は1回500円で10台ほど停められそうだ。
コインロッカーがあるのも観光地ならでは。
奈良井宿
ここを左に行くと道の駅がある。
そこは無料で駐車できる。
風情のある街並みが続く。
馬籠宿(まごめじゅく)、妻籠宿(つまごじゅく)と並んで人気の宿場となっている。
約1kmにわたって町並みを形成する、日本最長の宿場だ。
中山道屈指の難所鳥居峠をひかえて「奈良井千軒」といわれ、木曽十一宿の中では最も賑わった宿場です。町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、往時の面影を色濃く残し、奈良井川に沿ってつづく約1kmの街並みは日本最長の宿場です。保存にとどまらず現在も人が生活している町というところも奈良井宿の魅力です。
たくさんの賞を受賞してきたこの宿場は、2011年の連続テレビ小説「おひさま」の舞台にもなり、日本のありのままの美を感じることのできる地として、毎年国内外から多くの人が訪れ、この歴史的な宿場に魅了されています。
中山道 奈良井宿 | 塩尻市観光協会 から引用
鎮神社(しずめじんじゃ)まで歩いてきた。
1618年に奈良井宿に疫病が流行り、これを鎮めるために建てられた。
祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)
2回目、3回目になると予備知識があるおじい。
鎮神社
〒399-6303 長野県塩尻市奈良井68
千葉県の香取神宮から分霊した。
由緒書き。
中山道
旧中山道に向かう。
道が分からないおじい。
中山道の石畳を見つけた。
ここから鳥居峠まで2km。
念のため熊鈴をセットして出発。
昔の街道って感じですね。
熊が怖くて拍手しながら歩いて行くおばあ。
紅葉していた。
ここは「葬沢(ほおむりさわ)」と呼ばれ、天正10年(1582)、木曽義昌が武田勝頼の二千余兵を迎撃した古戦場跡。
東屋があった。
全然来てないじゃない。
昔、中の茶屋という昔のお茶屋さんがあった。
菊池寛の「恩讐の彼方に」の一節に「彼は、いつとなしに信濃から木曽へかかる鳥居峠に土着した。そして昼は茶店を開き、夜は強盗を働いた。」とある。
一里塚まで歩いてきた。
鳥居峠は木曽川と奈良井川の分水嶺。
「中利茶屋跡」に到着。
現在は「峰の茶屋」という休憩所となっている。
峰の茶屋 水場
〒399-6303 長野県塩尻市奈良井
ここが鳥居峠かと思ったら、どうやらまだ先のようだ。
電柱に書かれている。
御嶽講の明覺霊神碑。
御嶽講(みたけこう)は村や一族などの単位で信仰する集団で、江戸時代に始まった。
鳥居峠到着です。
標高1,197m。
明治天皇駐蹕所跡碑。
御駕篭が止まったところ。
丸山公園
栃(トチ)の木並木。
子産みの栃(トチ)といい、空洞に捨てられていた子供を育てた村人が幸福になったことから、この木の皮を煎じて飲めば子宝に恵まれるとされる。
6月に花が咲くそうだ。
丸山公園に立ち寄ることにした。
御嶽神社に参拝する。
木曽義元が戦勝祈願の鳥居を建て御嶽神社を祀った。
この鳥居が『鳥居峠』の由来になったとされている。
石碑や仏像がたくさんある。
御嶽山は見えない(汗;)
湧水があった。
木曽義仲の硯水。
平家討伐に出陣する際に、必勝祈願をしたためた際の硯の水だと伝わる。
渓斎英泉および歌川広重の浮世絵に「鳥居峠硯清水(とりいとうげすずりしみず)」として描かれている。
木曾街道 薮原 鳥居峠硯清水
ここが丸山公園。
義仲硯水(丸山公園)
〒399-6201 長野県木曽郡木祖村薮原
松尾芭蕉の句碑などがあるそうだ。
「木曽の栃うき世の人の土産かな」
たくさん石碑が建っている。
芭蕉句碑は1843年に建立された。
ここでランチ。
食事を終え、藪原駅に向けて出発。
天降社
石畳の道になった。
原町稲荷社に参拝する。
ここで車道と別の道に誘導された。
天降社(てんこうしゃ)にやってきた。
天降社
〒399-6201 長野県木曽郡木祖村薮原607−5
木祖村天然記念物になっているオオモミジがある。
鳥居峠の麓、「天降社(てんこうしゃ)」境内の一角にある。
樹高約14m、目通り幹囲2.45m、枝張り約10mのカエデ科の大樹である。
オオモミジのある天降社は、薮原神社例大祭(薮原まつり)の上獅子屋台の出発の場所でもあり、伊勢の両大神宮と関わりが深いことから「大神宮様(だいじんぐうさま)」とも呼ばれている。
天降社のオオモミジ | 信州木祖村 から引用
かつては境内は広く「大神宮の森」と称されていた。
伊勢の両大神宮と関わりが深いことから「大神宮様(だいじんぐうさま)」とも呼ばれている。
例大祭(薮原まつり)の上獅子屋台の倉庫。
これがオオモミジだが全く紅葉していない。
古くは楓の老木が植生し、街道筋にあるため有名であったといわれる。
原町清水。
尾州御鷹匠役所跡まで歩いてきた。
尾州御鷹匠役所跡
〒399-6201 長野県木曽郡木祖村薮原
鷹の飼育や調教など、明治四年に廃止されるまで存続していた。
将軍にも献上されたという。
葛沢(くっさわ)の大橋は寛政の時代から交通の要衝となっていた。
極楽寺
極楽寺に向かう。
山門は木祖村指定有形文化財になっている。
元禄11年(1698年)に造営された。
敷石は花崗岩で禅宗様式。
元亀・天正年間(1570~1592年)の開基という古刹だ。
本堂は1691年の建立で、2001年に改修された。
山号は法城山。
アララギ派の歌人が修養に訪れた。
観音堂。
格天井には、藤田嗣治と近藤浩の天井画64枚が納められている。
薮原神社
そのまま薮原神社に向かう。
藪原神社
〒399-6201 長野県木曽郡木祖村薮原504−1
0264-36-2115
祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまのおのみこと)、事解男命(ことさかのおのみこと)
680年の創建と伝わる。
三野王(美濃王)が勅使として信濃国巡視を行った際、熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町本宮)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられている。
当初は鳥居峠の山頂(峠山山頂)にあったが、1192年に縣坂十王へ遷座し、1590年に現在地に遷座した。
本殿は1827年の造営で木祖村有形文化財に指定されている。
摂社がたくさん並んでいる。
薮原宿
ここが薮原宿(やぶはらじゅく)
1695年の大火で薮原宿は焼失し、それ以降高塀を築くようになった。
屋号を示す看板が風情満点。
薮原は「お六櫛」が有名だ。
「お六櫛」…わずか10cmにも満たない幅に、およそ100本もの歯が挽かれたみねばりの小さな櫛は、江戸時代から中山道の名物、御嶽信仰や善光寺参りの土産として全国に知られていました。現在でも、ここ薮原宿を中心に作られているお六櫛は、実用品の櫛であるとともに長野県伝統工芸品として愛され続けています。
お六櫛とは? | 信州木祖村 から引用
「みねばり」という木で作られ、弘化年間には宿内の78パーセントの家が櫛に関する仕事に携わっていた。
高札場(こうさつば)跡まで歩いてきた。
JR藪原駅に到着。
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