日和佐とは
日和佐(ひわさ)は、徳島県海部郡美波町(とくしまけんかいふぐんみなみちょう)にある町だ。
以前は日和佐町として独立していたが、平成の大合併で美波町となった。
トリックアート
この日は薬王寺に参拝した。

参拝後、商店街を歩く。
古民家を改装した喫茶店などがある。
JRの高架の下に、仁王の絵が描かれている。
トリックアートになっている。
厄除け橋
さらに商店街を進んでいく。
厄除け橋まで戻る。
橋の欄干(らんかん)には、亀や薬王寺が彫られています。
またこの橋からは大浜の立島や日和佐城、薬王寺が見ることができます。
観る・遊ぶ|美波町観光協会 から引用
漁村めぐりの道
橋を渡った先は、「漁村めぐりの道」だ。
避難タワーの横を通り過ぎる。
海岸まで歩いてきた。
大浜海岸だ。
ウミガメの産卵で有名なこの海岸は、1958年に県の、1967年には国の天然記念物に指定され、1996年には「日本の渚百選」にも選ばれているほどの美しい海岸です。
またこの海岸では、10月〜2月は「だるま朝日」が拝めます。
観る・遊ぶ|美波町観光協会 から引用
日和佐うみがめ博物館カレッタ
日和佐うみがめ博物館カレッタに到着。
日本には亀の専門の博物館はここしかない、貴重な施設です。
またこの博物館には飼育されている海亀の中では世界最長寿(1950年〜)の亀が今も泳いでいます。
観る・遊ぶ|美波町観光協会 から引用
中には入らなかったが、国民宿舎の駐車場から水槽にアクセスできた。
ウミガメが悠然と泳いでいる。
水中撮影してみた。
恋人岬
カレッタから海岸を歩き、階段を上がる。
すぐに恋人岬だ。
明治・大正時代、海上交通が盛んだった頃、ここにある波を鎮めてくれる「波きり不動産」をお参りして、恋人の無事と再会を願って見送ったと云われるこの岬は、今も岬でお参りすると恋人との願いが叶うと云われ、想いのある人々が訪れています。
観る・遊ぶ|美波町観光協会 から引用
説明看板。
ここに鎮座する波切不動尊に参拝。
このあたりは景色が良く、お遍路さんも写真撮影していた。
えびす洞
白い燈台が近づいてきた。

白い燈台を過ぎたところの斜面に、野生の猿を発見。
えびす洞に向かう。

えびす洞を一周し、白い燈台でランチ。
八幡神社
日和佐の町に戻り、八幡神社へ。
祭神は誉田別命(ほむたわけのみこと)つまり応神天皇だ。
正平六年(1351年)の創祀といわれ、もと八幡宮と称した。「阿波誌」に「八幡祠日和射浦にあり。観応二年(1351年)置く。」とあり。
歴史について | 日和佐八幡神社 から引用
境内はとても広い。
扁額。
由緒書き。
摂社にも参拝する。
境内には「ちょうさ」という神輿の倉庫が8つ。
日和佐八幡神社秋祭りの大きな特徴である「ちょうさ」は、町内八地区が運行しており、一番歴史の古い戎町は寛政七年(1795)に造られ、以後享和二年(1802)に東町、享和四年(1804)に西町、文化十五年(1818)再び西町、天保八年(1837)に中村町、天保九年(1838)に本町のものが作られたと、日和佐在住の槌谷義一氏所蔵の「よろづひかへ覚」(大工重兵衛の記録)の中で記録がある。さらに、奥河町には、嘉永四年(1851)と記した太鼓衣装箱がある。恵比須浜のものには立派な彫刻があったが、昭和41年11月の火災で類焼し、昭和48年に新調。桜町は昭和22年に新調している。
「ちょうさ」が大浜海岸に練り歩き、海に入ることから筏の様に組む担ぎ棒は珍しいといわれる。また、戦争中に空襲等の被害にもあわなかったことから、当時の造りが残されている。
なお、「ちょうさ」を運行する八地区は次のとおり。
戎町・東町・西新町・本町・桜町・中村町・恵比須浜・奥河町。
各地区で布団の色等で特色を出している。太鼓屋台は地方によっては「ヨイヤショ」「サシマショ」等と呼ばれているが、この日和佐地区では「ちょうさ」と呼んでいます。
ちょうさについて | 日和佐八幡神社 から引用
境内社が多数鎮座する。
ひとつひとつ参拝していく。
鳥居まで歩いてきた。
街歩き
ここから町中を歩いて行く。
厄除け橋を渡り、川沿いに進む。
トリックアートまで戻ってきた。
駐車場に戻ってきた。
車で平等寺に向かった。
感想
海がとても美しかった。
ウミガメの町らしく、いたるところにウミガメのマーク。
実際に泳いでいるところを見られたのは、ラッキーだった。
薬王寺に参拝したら、ぜひ海岸まで歩いてみて欲しい。
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