甲斐善光寺とは
定額山浄智院善光寺(じょうがくざん じょうちいん ぜんこうじ)は、山梨県甲府市善光寺(やまなしけんこうふしぜんこうじ)にある寺だ。
長野県長野市にある善光寺をはじめとする各地の善光寺と区別するため、甲斐善光寺(かいぜんこうじ)と呼ばれることが多い。
当山は、開基武田信玄公が、川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)、御本尊善光寺如来像をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷したことに始まります。板垣の郷は、善光寺建立の大檀那本田善光公葬送の地と伝えられ、善光寺如来因縁の故地に、開山大本願鏡空上人以下、一山ことごとくお迎えいたしました。その後、武田氏滅亡により、御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々といたしましたが、慶長三年(1598)信濃に帰座なさいました。甲府では新たに、前立仏を御本尊と定め、現在に至っております。
甲斐善光寺 から引用
甲斐善光寺
〒400-0806 山梨県甲府市善光寺3丁目36−1
055-233-7570
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駐車場
2023年8月29日、この日は武田神社(たけだじんじゃ)に参拝した。
そこから車で、甲斐善光寺(かいぜんこうじ)にやってきた。
駐車場はとても広い。
金堂
1558年に武田信玄が、長野県から本尊や住職全てをこの地に移して開基した。
信濃善光寺と同じく「鳴き竜」がある。
本尊は善光寺如来で、もともとは信濃善光寺の前立仏として造立したものだ。
武田信玄が建てた金堂は焼失したため、1766年から1796年の30年をかけて再建された。
あまりに長期間だったため工事の遅延を意味する「善光寺普請」の言葉が生じたという。
東日本最大級の木造建築として名高い。
高さ27m、正面屋根幅30.8m。
戒壇巡りもある。
金堂中陣天井に「鳴き龍」があり、日本一の規模を持つ。
金堂中陣天井には、江戸の希斎という画家によって、巨大な龍が二匹描かれております。
この部分のみは、吊り天井となっており、手をたたくと多重反響現象による共鳴が起こります。
これをいわゆる「鳴き龍」と呼びますが、当山の鳴き龍は日本一の規模を持ち、参拝者に親しまれております。
甲斐善光寺 から引用
本尊は秘仏とされ、見ることはできない。
境内
由緒書きには、川中島の合戦から守るため移した、と書かれている。
武田氏滅亡後は本尊が豊臣秀吉などの手で転々としたが、1598年に信濃善光寺へ戻された。
ブラタモリでは甲斐を発展させるため僧侶ごと引き抜いた、と話していた(苦笑)
山門は金堂と共に再建された物で、国の重要文化財に指定されている。
桁行17m、梁間7m、棟高15m。
未完成の金剛力士(仁王)像が祀られている。
善光寺町
山門の先には真っ直ぐ参道が続き、長野県の善光寺と同じだ。
善光寺町は計画的に作られた街で、信濃善光寺町と甲斐善光寺町は共通性を持つと指摘される。
そういう面では、ブラタモリの指摘は当たっている。
甲府城下町として発展した。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 462 m
最低点の標高: 259 m
累積標高(上り): 356 m
累積標高(下り): -422 m
総所要時間: 02:50:28