正願寺とは
桑原山不断院正願寺(しょうがんじ)は、長野県諏訪市岡村(ながのけんすわしおかむら)にある寺だ。
俳人河合曽良の墓があります。川越庭園があり、四季を通じて花が咲き競い、別名あじさい寺。新田次郎の墓、曽良の墓もあります。
正願寺
〒392-0005 長野県諏訪市岡村1丁目15−3
0266-52-0818
諏訪市のあじさい寺『正願寺』に参拝した!「奥の細道」の曽良の墓がある!新田次郎の墓もある!【旅行VLOG、レビュー】1175年開基の古刹!参道にアジサイが植えられ「あじさい寺」と呼ばれる!
駐車場
2024年7月8日、この日は高島城(たかしまじょう)を見学した。
そこから車で、正願寺(しょうがんじ)にやってきた。
駐車場は山門の前にある。
3台ほど停められそうだ。
本堂
別名あじさい寺。
山門は三間一戸の楼門。
浄土宗の寺で、承安5年(1175年)に開宗された。
本尊は阿弥陀如来。
手水は温泉だった。
臭いも硫黄っぽい。
浄土宗なので南無阿弥陀仏と唱える。
1562年、岌往(ぎゅうおう)上人により中興開山された。
曽良の墓
本堂の奥に、曽良の墓がある。
河合曾良(かわいそら)は松尾芭蕉の「奥の細道」に随行したことで知られる。
旅の後は幕府の巡見使として長崎県壱岐に渡り、宝永7年(1710)、その壱岐で病没したと伝えられている。
墓も壱岐にあるそうだが、諏訪の出身と言うことで墓が置かれているようだ。
辞世の句「春にわれ 乞食やめても 筑紫か奈」
境内
新田次郎の墓もあるそうだ。
大きなしだれ桜がある。
参道にアジサイが並ぶのは、さすがあじさい寺というだけある。
正面から見るとこんな感じ。
法光寺
隣の法光寺(ほうこうじ)に向かう。
永禄三年(1560年)に開山した謝徳山報恩寺と、遍照山新光明寺が後日合併して法光寺となった。
戦国時代、諏訪の中心として栄えた諏訪氏の居城上原城の城下町(茅野市上原)には、鎌倉五山になぞられて上原五山といわれる寺院がありました。永明寺・金剛寺・光明寺・法(報)明寺・極楽寺がこれです。
この中、法(報)明寺と光明寺の二ヶ寺が後日合併して、現在の法光寺(諏訪市岡村)にいたっています。
法光寺 諏訪 から引用
法光寺
〒392-0005 長野県諏訪市岡村1丁目16−5
0266-52-1769
寛永十年(1633年)に寺堂は全焼したが、正保二年(1645年)に今の地に再建された。
摩尼車があった。
回転数だけお経を唱えたことになるので、たくさん回しておいた(笑)
本尊は阿弥陀如来。