戸隠神社とは
戸隠神社(とがくしじんじゃ)は、長野県長野市戸隠(ながのけんながのしとがくし)にある神社だ。
戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏習合のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。
天の岩戸が戸隠山(とがくしやま)になったという神話に基づき、それぞれの神社の祭神は天岩戸伝説にまつわる神になっている。
創建は紀元前と伝わる、古い神社だ。
宝光社
この日は2020年10月20日、鏡池を観光してきた。

車で戸隠神社宝光社(ほうこうしゃ)の駐車場にやってきた。
駐車場はとても広い。
宝光社は五社からなる戸隠神社の中で、最も麓にある神社だ。
祭神は、天表春命(あめのうわはるのみこと)
ご祭神
天表春命(あめのうわはるのみこと)
由緒・ご神徳
杉の古木の中、270余段の石段を登ると神仏習合時代の面影を残す荘厳な社殿があり、その荘厳さは多くの信者の尊信を集めています。
祭神は中社祭神の御子神様で、開拓・学問技芸・裁縫の神、安産の神、女性や子供の守り神として御神徳があります。
長い石段を上がる。
260段+193段(汗;)
息も絶え絶えに拝殿に到着。
宝光社は神仏習合の時代には、地蔵菩薩が祀られていた。
内部はこんな感じ。
1861年に創建されたという。
神輿庫(しんよこ)の神輿は、1804年に作られたそうだ。
右の御神輿は文化元年(1804年)に江戸神田の法橋(僧侶に与えられた位階)善慶の指揮の下、奥社、九頭龍社、中社、宝光社に配すべく製作された四基の内、唯一現存する一基です。
江戸時代にはこの御神輿を担いではるばる江戸まで上り、出開帳(本尊などの仏像や寺宝をよそに運んで開帳すること)を催し多くの信者が集まりました。
文化八年には深川八幡宮で開帳が、文化十年には修復が行われた記録が残っています。
明治以降は七年ごとに春に行われる式年大祭でのみ使用されてきましたが、長年の経過により破損個所等が生じたため、平成三年の式年大祭に合わせて左の御神輿が新調されました。
女坂
女坂(おんなざか)を下っていく。
駐車場まで戻ってきた。
中社の鳥居
宿泊地に車を停め、中社(ちゅうしゃ)に向かう。
鳥居がまっさらだ。
どうやら新築して、神事を行う直前だったようだ。
1936年に建てられた以前の鳥居は、4階建てのビルと同じ高さ11メートル。戸隠のシンボルとして参拝者を迎えてきました。
神社は来年、式年大祭を迎えます。そこで、老朽化した鳥居の建て替えが決まりました。設計と全体の指揮を任されたのは、地元の神社の神主でもある宮川和工さんです。
設計など担当・宮川和工さん:
「最初はうれしかったが、やっていくうちに責任の重大さが身に染みた」去年秋から古い鳥居の構造を念入りに調べ、今年4月に解体。丈夫なカナダ産のヒノキを使い、これまでとほぼ同じ寸法にしました。
設計など担当・宮川和工さん:
「『旧』鳥居を建てられた方への敬意。人力で建てられた方の思いをまったく違う形にしたくないと」そして、9月1日、柱を立てる作業を迎えました
戸隠神社中社の『大鳥居』建て替え進む 来年の式年大祭に備え 「シンボルとして末永く」(NBS長野放送) – Yahoo!ニュース から引用
祭神は、天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
現在地への鎮座は寛治元年(1087年)、宝光社と同時期に奥社の相殿として創建されました。
現在の祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)で、天照大神が天岩戸に隠れたとき岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったとされる神です。
知恵の神ともされます。
境内周辺には樹齢約900年の三本杉があり天然記念物に指定されています。
火之御子社
中社の参拝はあとにして、まず火之御子社(ひのみこしゃ)に向かう。
神道(かんみち)という神様が通る道だそうだ。
最近は神様ではなく熊が通っているようだ(冷や汗;)
火之御子社に到着。
祭神は、天鈿女命(あめのうずめのみこと)
創建は天福元年(1233年)。
祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)。
他に高皇産霊命(たかむすびのみこと)、その娘である栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)、栲幡千々姫命の夫である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀ります。
天鈿女命は天照大神が隠れた天岩戸の前で面白おかしく踊って天照大神を誘い出すきっかけをつくったとされる女神とされ、舞楽や芸能、また火防の神とされ、宝光社の上1.5kmほどの場所にあります。
尚、他の4社が神仏混淆であった時代も当社だけは一貫して神社であって、かつての顕光寺とは関係がありません。
参拝する。
夫婦の杉(二本杉)は樹齢500年以上。
参拝を終え、戸隠古道で中社に戻る。
三本杉
中社まで戻ると、駐車場の前に三本杉と呼ばれる巨木のうちの1本が立っている。
樹齢800年!
拝殿まで上がってきた。
社殿は、昭和31年に再建されたそうだ。
由緒書き。
さざれ滝。
参拝を終え、宿泊地に向かった。
