岡御殿とは
岡御殿(おかごてん)は、土佐藩主が参勤交代の際に宿泊していた本陣だ。
岡家は米屋と号し、豪商田野五人衆の随一で、祖先岡氏は泉州から山内候に従って田野に来たと伝えられています。岡家は特独礼の格式でたびたび藩に御用銀を調達していました。藩主の宿泊所として建てられたこの書院造りの建物は天保時代に建て替えられ、上段の間に近侍の間が並び、その外に一間の次の間が廻って、その外側に三尺の廻廊と切縁があります。そして溜りの間、便所、湯殿やその家具に至るまで完全に保存されており、当時の建築様式がそのまま残されている貴重な建造物です。
岡御殿 | 観光情報 | 高知県田野町 から引用
岡御殿
高知県安芸郡田野町2147−1
0887-38-2511
田野町役場
2022年11月9日、この日は琵琶ヶ滝(びわがたき)を歩いた。

そこから車で、田野町役場にやってきた。
ここに車を停め、岡御殿(おかごてん)に歩いて行く。
バス停も「岡御殿」になっている。
岡御殿
岡御殿に到着。
入館料500円。
しかし300円で済んだ。
500円の表記は何だったんだろう。
一般300円、中学・高校生200円、小学生以下無料
元は米屋だったそうだ。
1844年に建てられた。
襦袢だと思っているが、実は布団だ。
殿様は、これで寝ていたらしい。
書院造りで、藩主の宿泊所として建てられた。
当時としては、天井が本当に高い。
おばあの好きな「雪隠(せっちん)」
さすがのおばあも、ここで用を足すわけにはいかない(笑)
風呂。
お湯を流せるように、中央に溝が切ってある。
二十三士の説明があった。
幕末に武市瑞山(たけちずいざん)を赦免するように願い出て、逆に斬首された勤王志士たちだ。
元治元年9月5日早朝、奈半利河原において斬首された23名の遺体は、盟主清岡道之助の遺言によって福田寺境内に埋葬されました。
おばあをどうしても雪隠に行かせたいようです。
使える本物だった(笑)
お殿様体験ができるようです。
蔵
蔵に向かう。
庭から見る岡御殿は、こんな感じ。
蔵に入る。
内部はこんな感じ。
苗字帯刀を許されていたのね。
豪商田野五人衆の随一だった。
二階はこんな感じ。
くだらないことにかけては天下一品。
西の岡邸
西の岡邸にやってきた。
脇本陣だったそうだ。
西の岡邸は岡御殿を間近にひかえた一画に位置する旧家であり、長く製材や回船を業とする豪商の家でした。岡御殿の「本陣」としての性格、その由緒はよく知られるところですが、当家は元々岡家の分家であったものが昭和初期、浜川氏に譲渡され、その後、町の所有となりましたが、古くは「西の岡」と呼ばれ「脇本陣」として随勤の重臣などの宿泊に当てられたという家柄です。
先に進んだ。
