定福寺とは
粟生聖天定福寺(あおうしょうでんじょうふくじ)は、高知県長岡郡大豊町粟生(こうちけんながおかぐんおおとようちょうあおう)にある真言宗智山派の寺だ。
本尊は、阿弥陀如来。
新四国曼荼羅霊場第61番札所だ。
本堂は、国の登録有形文化財になっている。
聖武天皇の勅願により、行基が神亀元年(724年)に開山した。
定福寺は、真言宗智山派に属し、神亀元年(724)僧行基によって草創され、仁王門、教院、御長屋、大師堂、鐘楼等並び立ち壮麗を極めていたと伝えられる。近世に至って明和-安永(1764~1780)の頃火災にあい、本堂を焼失したが、仏像は、その難をまぬがれた。その後藩主山内豊雍により安永8年(1779)本堂の再建が完成した。
その後明治18年再び火災にあい本堂を残して仁王門、庫裏等の建物はほとんど焼失した。現在の庫裏は明治18年(1885)に石堂の朝倉家(安政4年(1858)建造)を移築したものである。
その後、鐘楼(昭和48年12月8日)、仁王門(昭和59年10月28日)がそれぞれ再建された。更に寺が所有する数々の文化財を保護するため平成27年(2015年)宝物館が建てられた。
定福寺 | 大豊ナビから引用
駐車場
この日は大田口カフェでランチを済ませた。
その後、車で定福寺にやってきた。
坂道を上っていくと、本堂のすぐ横に駐車場がある。
10台ほど停められそうだ。
本堂
駐車場から本堂に向かう。
この日は2019年11月20日で、紅葉がきれいだ。
お天気が良く、輝いている。
石段を上がる。
本堂正面には、仏足石。
仏足石(ぶっそくせき)は、釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたもの。
古いものは紀元前4世紀に遡るとも考えられている。また仏足石は釈迦のものとは限らず、シバ神の足跡も信仰の対象とされている。両足を揃えたものがより古い形式のもので、片足のものは比較的新しく紀元後のものと考えられる。実際の足跡ではなく三十二相八十種好の説にもとづいて、足下安平立相、足下二輪相(下記参照)などが刻まれていることが多い。古代インドでは像を造る習慣がなかったため、このような仏足石や菩提樹などを用いて、釈迦やブッダを表現した。
仏足石 – Wikipediaから引用
内部はこんな感じ。
本堂周辺は、紅葉が盛りだ。
大師堂
大師堂へ。
その先に、豊永郷民族資料館がある。
しかしこの日は閉まっていた。
農耕用具や山林用具など土佐豊永郷及び周辺地域の山村生産用具が約12,000点展示されている資料館。民具のなかには国の重要有形民俗文化財に指定されている2,595点があり、先人の貴重な生活を垣間見られる。
定福寺|旅色から引用
境内
巨大な数珠がかかっている。
鐘楼。
紅葉も見頃。
マニ車。
回すと全てが清浄になる。
ここから参道が続く。
山門
山門。
2,000年以上前の大賀ハスが発掘され、花を咲かせる。
毎年7月に、ハス祭りが開催されている。
定福寺には2000数百年の眠りから覚めた四国でも珍しい“大賀蓮(おおがはす)”があり、毎年、大賀蓮の咲く7月初旬から蓮祭りを開催!
仁王像。
愛嬌のある顔立ちだ。
七福神。
仏像が並ぶ。
熊野神社
境内には、熊野神社も鎮座する。
扁額。
狛犬。
灯籠。
石段の上に、拝殿。
扁額。
内部はこんな感じ。
参道を見ると、こんな感じ。
車で先に進んだ。
感想
紅葉が見事だった。
京都や奈良だと紅葉シーズンは寺は大変な混雑でゆっくりできない。
しかしこの定福寺は、いつもと変わらぬ静謐な空間だ。
寺に参拝し、静かに紅葉を愛でる。
古人が楽しんだ風景を味わえる、素晴らしい場所だ。