造山第2号墳
2023年3月28日、この日は造山古墳(つくりやまこふん)を歩いた。
そこから歩いて行く。
造山古墳の荒神社から続いている道は、ここに下りてくるようだ。
これが造山第2号墳だ。
造山第2号墳
岡山県岡山市北区新庄下
まず案内看板でルートを確認。
千足古墳
造山第5号墳(千足古墳)まで歩いてきた。
石障(せきしょう)に直弧文(ちょっこもん)が彫られていたそうだ。
造山古墳の前方部前面に位置する、墳頂約81m、後円部径約63m、同高さ7.4m以上、前方部長約25mからなる前方後円墳です。通常の前方後円墳に比べ前方部が短いため帆立貝形(ほたてがいがた)古墳とも呼ばれます。
墳長約74m、後円部径約55m、同高さ6.8m、前方部長22mという大きな前方後円墳だ。
きれいに整備されているが、工事中のようなのでここまでで遠慮した。
造山第6号墳まで歩いてきた。
サイクリングロード
太陽の道という日時計があった。
サイクリングロードが整備されているので、そこを歩いて行く。
桃が咲いていた。
「ぼっこう」とは岡山弁で「ものすごい」という意味だそうだ。
備中国分尼寺跡
備中国分尼寺の南門跡だ。
備中国分尼寺跡(びっちゅうこくぶんにじあと)は国の史跡に指定されている。
寺域は東西約108m、南北約216mの長方形で、中心線上に南門、中門、金堂、講堂が配されていました。
備中国分尼寺は西約700mに位置する備中国分寺と異なり短期間で廃棄されたものと考えられます。
現在では、赤松林の中に残る建物の柱を支えた大きな礎石が、当時の栄華を物語るのみです。なお、寺域を取り巻く築地塀の一部も、部分的にみることができます。
国指定_備中国分尼寺跡 から引用
東西約108m、南北約216mあったそうだ。
金堂跡には礎石が残っている。
総社吉備路文化館
総社吉備路文化館まで歩いてきた。
施設的には、美術品を展示する展示室1室、かな書家で文化勲章受章者の高木聖鶴氏の作品展示室、吉備路風土記の丘のガイダンスコーナー、収蔵庫などを備えています。また、コンクリートの外壁にツタが大きく生育しており、当館のシンボルでもあり、来場者の目を楽しませたり、驚かせたりもしています。
総社吉備路文化館_当館について から引用
藁葺き屋根の建物は、旧山手村役場。
明治35(1902)年から昭和43(1968)年まで旧山手村役場として使用されていた。
この建物は、初代山手村長の風早雲嶂の自宅として、旧山手村地頭片山に建てられましたが、明治35(1902)年から昭和43(1968)年まで旧山手村役場として使用されました。
国登録_旧山手村役場 から引用
幕末から明治初期に建てられたそうだ。
旧松井家住宅。
江戸時代末期に建設された旧山陽道沿いの茶屋を移築したという。
もともとは、岡山市東区沼の旧山陽道沿いの茶屋として江戸時代末期に建設され、昭和47(1972)年に現在の地に移築されました。木造平屋建の寄棟造茅葺の住宅で、表裏に瓦葺の庇をつけています。
国登録_旧松井家住宅主屋 から引用
重要文化財だが座らせてもらった(笑)
これが総社吉備路文化館。
入場料がかかるなら入らない。
入館無料。
高木聖鶴氏の作品が展示されていた。
こうもり塚古墳
こうもり塚古墳まで歩いてきた。
こうもり塚古墳は6世紀後半に造られた吉備の大首長の墓と考えられている。
吉備の大首長の墓と考えられる前方後円墳で、後円部には棺を納めた横穴式石室があります。
この横穴式石室は、全長19.4mで巨大な石を組み合わせて造られており、岡山県下三大巨石墳の一つに数えられています。また、全国でも、確認されている横穴式石室の中では第3位の規模を誇ります。
国指定_こうもり塚古墳 から引用
墳長約100m、後円部径約55~60mの前方後円墳だ。
国の史跡に指定されている。
石室内にコウモリが棲息していたことから名付けられた。
かつては仁徳天皇に愛された吉備のくろひめの墓とされ、くろひめ塚古墳と呼ばれていた。
その後の調査で時代が合わないことから、こうもり塚古墳と名付けられた。
円墳の頂上には祠がある。
石室に入れる。
横穴式石室で、全長19.4m、幅3.61m、高さ3.6m。
大刀など武具、馬具、ガラス小玉などが出土した。
横穴式石室の中では第3位の規模だという。
食事に向かった。
最高点の標高: 33 m
最低点の標高: 9 m
累積標高(上り): 206 m
累積標高(下り): -206 m
総所要時間: 04:45:06