まほろばクリーンセンター 香南清掃組合
2024年3月22日、この日はトリム広場を歩き、ラ・セルでランチを済ませた。
そこから車で、まほろばクリーンセンターにやってきた。
まほろばクリーンセンター 香南清掃組合
〒783-0023 高知県南国市廿枝1455
088-863-1177
歴史探訪:土佐で最大だった比江廃寺塔跡と国府跡を巡る!国分川ウォーキングコースを紹介します!【旅行VLOG、レビュー】紀貫之邸跡には古今集の庭!雅な時代を彷彿とさせる歴史の地をめぐるコース!
まほろばクリーンセンターは、高知県南国市廿枝(こうちけんなんこくしはたえだ)にあるゴミ焼却場だ。
ここに「まほろばの湯」という足湯がある。
無料で利用でき、とてもきれいだ。
4月から2年間ほど利用停止となるそうだ。
トイレは温水便座。
ここから歩いて行く。
オサバイ杉
立派でおしゃれなゴミ焼却場だ。
オサバイ杉まで歩いてきた。
高さ15m、樹齢200年の杉の木だという。
オサバイさまは農家の神。廿枝に樹齢200年、高さ15mの杉がある。この木は田の水口に祭った杉。【天然記念物(市)】
南国市の天然記念物に指定されている。
「オサバイ様」はもともと農家の神様だ。
籾撒きが終わると、その水口に杉の木を刺し、オサバイ様を祀って豊作を祈願した。
この小枝が根を下ろし成長したのが、オサバイ杉である。
江戸時代の農業信仰の一端を示している。
オサバイ杉から国分川(こくぶがわ)沿いに歩いて行く。
土佐国衙跡
この堤防は「国分川ウォーキングコース」として整備されている。
橋を渡る。
橋の対岸には、四国八十八ヶ所霊場第29番札所の国分寺(こくぶんじ)がある。
土佐国衙(こくが)跡まで歩いてきた。
ここに国庁(こくちょう)が置かれていたと考えられている。
この土佐国府の中心が土佐政庁こと、土佐国衙(こくが)である。
この土佐国衙跡を明らかにするため、昭和54年(1979)から平成3年(1991)まで、国府のなかの主要な地点を選定
し、発掘調査がなされ、周辺官衙跡は発見されたが、中心政庁の国衙跡は発見されなかった。
土佐国衙跡の碑の建っている所の字名は「コクチョウ(国庁)」、紀貫之邸跡のある所の字名は「ダイリ(内裏)」で
あるなど字名が国衙の所在を知らしめるようであるが、発掘では国衙跡は発見されなかった。
まだ未発掘の地点に問題の国衙跡が地下に眠っているのだろう。
比江廃寺塔跡
比江廃寺塔跡(ひえはいじとうあと)まで歩いてきた。
白鳳時代(西暦645~709)にこの土地の豪族が建立したといわれ、高知県内では最古の寺院跡だ。
南国市比江字土居屋敷にあり、国の史跡に指定されています。塔の心礎だけしか残っていませんが、白鳳時代に古瓦も出土する廃寺で、県内では最古の寺院跡です。
礎石は縦3.24m、幅2.21mで、それに径81cmの穴がある。
国の史跡に指定されている。
土佐では最大で、30m以上の塔が建っていたと考えられている。
日吉神社
瓦屋さんがカッコイイ。
ここにあった「まほろばの清流水」は枯れてしまったようだ。
比江山(ひえやま)に、熊野神社と日吉神社が鎮座する。
比江山(ひえやま)の名は、都から赴任した国司らが京を懐かしみ、比叡山になぞらえて名づけたといわれる。
日吉神社は「ひえじんじゃ」と読むそうだ。
日吉神社の総本社は、滋賀県にある日吉大社だ。
日吉大社は古くは「日枝」「比叡」と書き、「ヒエ」と呼ばれていた。
平安時代頃より「エ」の文字を 縁起の良い「吉」に替えるようになり、「ヒヨシ」という訓みも生まれ、両方の名称が使われるようになった。
現在では日吉大社は「ヒヨシタイシャ」と公称している。
ややこしい(汗;)
祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)
内日吉は紀貫之(きのつらゆき)が京に帰る際、側近の公文職が乞い請け自宅近くに移したものだ。
都から赴任してきた国司によって近江坂本の日吉大社から勧請された国衙鎮護の祭神。もう一つの「内日吉」の神様は貫之が京に帰るとき、側近の公文職が乞い請け自宅近くに移したもので、今も一族により守られています。
本殿はこんな感じ。
日吉神社の坂道を下ったところに池があり、厳島神社が鎮座する。
永源寺
永源寺(えいげんじ)にやってきた。
曹洞宗(そうとうしゅう)の寺だ。
本尊は聖観音。
土佐国33観音第11番霊場になっている。
モクレンが咲いていた。
由緒書き。
越前永平寺(えいへいじ)の直末だ。
卵塔(たまごとう)は、山内氏の家老である乾(いぬい)氏の墓地だ。
形が卵形をしていることから卵塔と呼ばれている。
紀貫之邸
紀貫之邸まで歩いてきた。
駐車場はとても広い。
さっき歩いた土佐国衙(こくが)までの一帯に国府があったと考えられている。
国府小学校の東300mの南側に48代目の国司、紀貫之邸跡があります。邸跡では高浜虚子の句碑等もあり、この邸跡の南一帯が土佐の国衙(こくが)跡です。
紀貫之邸跡 : 南国市観光協会 から引用
古今集の庭という句碑が建てられている庭園がある。
俳句の入賞作品が飾られていた。
「内裏」という地名から、ここに紀貫之が住んでいたと考えられている。
国府の碑が建てられている。
紀貫之は国司として赴任し、今日に戻る際に「土佐日記」を書いた。
高浜虚子の句碑もある。
紀貫之の歌碑。
足湯
ルート的には国分寺に行くところだが、この日はそのまま戻ることにした。
国分川に架かる橋を渡る。
まほろばクリーンセンターに戻ってきた。
足湯は幼稚園児で満員だ(苦笑)
入れ替わりで足湯に入り、帰宅した。
最高点の標高: 37 m
最低点の標高: 13 m
累積標高(上り): 58 m
累積標高(下り): -58 m
総所要時間: 01:30:36