八代の舞台(高知県いの町) ⇒ フライパンでランチ後、仁淀病院〜JR枝川駅〜八代八幡宮〜枝川公園と宇治川沿いをウォーキング

八代の舞台

八代の舞台とは

八代の舞台(やしろのぶたい)は、高知県吾川郡いの町(こうちけんあがわぐんいのちょう)にある八代八幡宮(やしろはちまんぐう)の境内にある神楽殿だ。

八代の舞台 ⇒ さらに宗安寺、朝倉神社を巡る
八代の舞台とは 八代の舞台(やしろのぶたい)は、高知県吾川郡いの町にある八代八幡宮の境内にある芝居小屋だ。 現在でも11月5日に地元の青...

現在でも11月5日に地元の青年による農村歌舞伎が行われている。

昭和51年には国の重要有形民俗文化財に指定された。

八代の舞台 文化遺産オンライン八代の舞台は、いの町の八代八幡宮の境内にある農村舞台である。明治初年頃の再建と推定され、単に舞台と呼ばれるほか、ホンジツと称す11月5日の祭礼日とその前日のシンガク(試楽か)にこの舞台を使用することから、シンガクデンとも呼ばれている。内部には、皿廻し式廻り舞台、二重台(コウザとも呼ぶ)、太夫座、花道、スッポン、中道などの多様な舞台機構を有しており、舞台奥は床が一段低くなって楽屋に使用される。また、中道という他に類例をみない独特な機構がみられるが、これは前方にある社殿に供えられた神饌のうちの一個を神事終了後に当頭が舞台に運び、三番叟を踏む若者に手渡す際に通路として使用するものである。この舞台は、我が国の農村舞台の典型例の一つをなすものとして重要であることから、舞台及び観客席となる敷地を指定する。 なお、現在も毎年11月5日、地域の青年団の人たちによって歌舞伎が奉納されている。

八代の舞台 文化遺産オンライン から引用

八代の舞台(高知県いの町) ⇒ フライパンでランチ後、仁淀病院〜JR枝川駅〜八代八幡宮〜枝川公園と宇治川沿いをウォーキング
詳細ブログ 八代の舞台 ( #高知県 #吾川郡 #いの町 ) ⇒  #フライパン で #ランチ を済ませた後、 #仁淀病院 〜 #JR #枝川駅 〜 #八代八幡宮 〜 #枝川公園 と #宇治川 沿いを #ウォーキン...

フライパン

この日は2021年1月25日、自宅を車で出発し、フライパンにやってきた。この日は自宅を車で出発し フライパンにやってきた

フライパン ⇒ 古民家好きには垂涎のレストラン
フライパンとは フライパンは、高知県吾川郡いの町にあるレストランだ。 古民家を利用したインテリアが特徴的なお店だ。 ...

ツレは酢豚定食をオーダー。ツレは酢豚定食をオーダー

俺はポークジンジャーにした。俺はポークジンジャーにした

食後にコーヒーも頼んだ。食後にコーヒーも頼んだ

仁淀病院

食後、車で仁淀病院(によどびょういん)まで移動。食後 車で仁淀病院 によどびょういん まで移動

宇治川沿いに歩いて行く。宇治川沿いに歩いて行く

JR枝川(えだがわ)駅前を通過。JR枝川 えだがわ 駅前を通過

暖かいというより暑い。暖かいというより暑い

高速道路伊野インターチェンジまで歩いてきた。高速道路伊野インターチェンジまで歩いてきた

八代の舞台

八代の舞台に到着。八幡宮に到着

国の重要有形民俗文化財に指定されている。国指定の重要有形民俗文化財に指定されている

八幡宮が見えた。八幡宮が見えた

その左に、八代の舞台がある。その左に 八代の舞台がある

100年前に再建された歌舞伎回り舞台だ。100年前に再建された歌舞伎回り舞台だ

内子座を思い出す。

内子座(愛媛県内子町) ⇒ 100年の時を超えた芝居小屋が復活
内子座は、愛媛県喜多郡内子町内子にある芝居小屋だ。内子座は1916年の建設で、100年以上前の建物だ。幟が立って、いかにも芝居小屋という雰囲気。中に入ると、ボランティアの方が説明してくれた。すっぽんや回り舞台などの仕掛けがある。舞台は意外と狭い。枡席や奈落に入ることもできる。

八幡宮に参拝する。

さらに本殿横の西宮神社にも参拝する。さらに本殿横の西宮神社にも参拝する

裏参道の先に、プールがあった。裏参道の先に プールがあった

枝川公園

宇治川沿いに戻っていく。宇治川沿いに戻っていく

枝川公園にやってきた。
枝川公園にやってきた

横が自動車教習所で、その横が免許センターだ。横が自動車教習所で その横が免許センターだ

その先は、伊野商業高校。その先は 伊野商業高校

馬頭観音

三津姫橋(みつひめばし)の由来書き。三津姫橋 みつひめばし の由来書き

三津姫大明神 - 祠の主は高岡から逃れて来た姫君とも、庄屋の娘とも - 南国土佐へ来てみいや三津姫橋 橋名の由来

新宇治川放水路の呑口のほぼ中央部にあたる位置に、古くより懇(ねんご)ろに祀られてきた祠がありました。

新宇治川放水路建設工事に伴い、これまで祀り伝えてこられた地権者の方から「新宇治川放水路呑口対策委員会」にこの祠の移動について一任され、現在の位置(旧祠の西の河床跡地)に遷座いたしました。

この際、ご祭神は祠内の木札に「三津姫大明神」とあり、また、祠の附近の地下より舎利及び櫛が発掘され、それぞれをご神体として遷座地に安置し、「三津姫大明神」として祀ることとしました。

祀られた方については、高岡の姫君である三津姫が伊野の方に落ち延びたという説と、庄屋の娘を祀ったという説があり定かではないものの、若い女性が神として祀られる由緒のある祠であると思われます。

丁度、この橋の位置にあった祠のご神体に因み、「三津姫橋」と命名したものです。

【 参考・引用 】 石碑より

三津姫大明神 - 祠の主は高岡から逃れて来た姫君とも、庄屋の娘とも – 南国土佐へ来てみいや から引用

その先に、馬頭観音が鎮座する。その先に 馬頭観音が鎮座する

渡り鳥がたくさん集まっていたので手を叩いて驚かせようとしてみたが、ガン無視された(苦笑)渡り鳥がたくさん集まっていたので手を叩いて驚かせようとしてみたが ガン無視された 苦笑

合計距離: 8160 m
最高点の標高: 29 m
最低点の標高: 12 m
累積標高(上り): 125 m
累積標高(下り): -122 m
総所要時間: 02:12:14
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