倭文神社とは
倭文神社(しとりじんじゃ)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内(とっとりけんとうはくぐんゆりはまちょうみやうち)にある神社だ。
伯耆国(ほうきのくに)一宮とされる。
祭神は、健葉槌命(たけはづちのみこと)
その他にも、下照姫命(したてるひめのみこと)のほか5柱を祀る。
安産の神として崇敬されている当神社は、伯耆国の一ノ宮です。創立年代は不詳ですが、社伝によれば大国主命の娘の下照姫命が出雲から海路御着船、従者と共に現社地に住居を定め、当地で死去されるまで、安産の指導に努力され、農業開発、医薬の普及にも尽くされたといわれています。創立当時、当地方の主産業が倭文(しづおり)の織物であったので、倭文部の祖神建葉槌命に当地と関係の深い下照姫命を加えて祭神としたもので、他の五柱の神は大国主命の御子神か関係の深い神々です。平安時代、延喜式神名帳(西暦922年)には、当神社の名が見え、神階は度々昇進し天慶3年には正三位にまで進んでいます。また勅額とされる古額が現存し、そちらには正一位伯州一ノ宮大明神と刻まれています。
倭文神社
鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内754
0858-32-1985
駐車場
2022年5月28日、この日は三朝温泉(みささおんせん)を歩いた。
宿泊していた三朝温泉依山楼岩崎(みささおんせんいざんろういわさき)をチェックアウト。
車で、東郷池のあやめ池スポーツセンターを通過。
倭文神社(しとりじんじゃ)にやってきた。
駐車場は15台ほど停められそうだ。
最高点の標高: 210 m
最低点の標高: 4 m
累積標高(上り): 230 m
累積標高(下り): -216 m
総所要時間: 00:20:06
境内
「倭文神社」と書いて「しとりじんじゃ」とは、読めなかった(汗;)
由緒書き。
大国主命(おおくにぬしのみこと)の娘、下照姫命(したてるひめのみこと)が出雲からこの地に着き、この地に住居を定め、安産の普及に努めたといわれている。
このため安産の神様とされる。
下照姫命は大国主命の娘として生まれました。農業や医療の技術に長けており、大国主命と力を合わせて出雲の国づくりに励みました。そんなおり、天照大神は天稚彦という神を遣わし出雲の国譲りを要求しました。ところが天稚彦は下照姫命と恋に落ち、復命することはありませんでした。しかし下照姫命と天稚彦との幸せな日々は続かず、天稚彦は天照大神から遣わされたキジを射殺したことが原因で、天照大神により射殺されてしまいました。下照姫命は夫の死、国譲りによる出雲との別離などを乗り越え、一匹の海亀によりここ伯耆国宇野の海岸に導かれました。そのまま現社地に住を定め、当地で死去するまで安産の指導、農業開発、医療普及等に努めたとされています。氏子である宮内に住む人々は下照姫命の従者の祖先だとされており、さらに周辺にある亀石、宮戸弁天、出雲山といった場所は縁の深い地である、とされております。
神門をくぐる。
経塚。
平安時代の僧がお経の入れ物を埋めていて、なんと56億7000万年後に向けて残したものだった。
国指定史跡である伯耆一ノ宮経塚は古くより、倭文神社の神様である下照姫命のお墓として崇められてきました。中から出てきたのは、平安時代の僧がなんと56億7000万年後に向けて残したお経の入れ物でした。このタイムカプセルのようなものは結局900年程で掘り起こされましたが、いつの世も神聖な場所として崇められた場所であることがわかります。
国の史跡に指定されており、出土品は国宝になっている。
参拝
拝殿では祝詞の最中。
今のご時世では珍しい、ひしゃくの手水舎。
狛犬は逆立ちしている。
拝殿。
内部はこんな感じ。
国宝の説明。
最高点の標高: 86 m
最低点の標高: 45 m
累積標高(上り): 33 m
累積標高(下り): -50 m
総所要時間: 00:11:02
出雲山展望台
参拝を終え、車で出雲山展望台にやってきた。
出雲山展望台は、鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内(とっとりけんとうはくぐんゆりはまちょうみやうち)にある公園だ。
駐車場はとても広い。
出雲山の由来書き。
ここから下照姫命(したてるひめのみこと)が故郷の出雲の方を眺めていたといわれている。
神社から少し離れたところに出雲山はあります。この地にやってきた下照姫命が故郷である出雲の方をこの山から眺めていたといわれています。現在では展望台となっております。
ここから東郷湖を一望できる。
標高52mと低いが、素晴らしい眺望だ。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 64 m
最低点の標高: 3 m
累積標高(上り): 42 m
累積標高(下り): -103 m
総所要時間: 00:19:02