国分寺とは
摩尼山宝蔵院国分寺(こくぶんじ)は、高知県南国市にある真言宗智山派の寺だ。
第29番札所で、本尊は千手観世音菩薩だ。
香長平野の中に位置し、周囲は田んぼだ。
山寺が多い高知の札所の中では珍しい。
また土佐日記の作者である紀貫之は、この近くに住んでいた。
四国八十八ヶ所霊場公式ホームページ:第29番札所 摩尼山 宝蔵院 国分寺
土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人、紀貫之(868〜945頃)が浮かんでくる。とくに貫之が著した『土佐日記』は、女性の筆に託して書かれた仮名日記であることはあまりにも有名であるし、貫之が国司として4年間滞在した国府は、国分寺から北東1kmほどの近くで「土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・文化の中心であった。
聖武天皇(在位724〜49)が『金光明最勝王経』を書写して納め、全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年のころ。土佐では行基菩薩が開山し、天下の泰平と五穀の豊穣、万民の豊楽をねがう祈願所として開創された。歴代天皇からの尊信が厚く、加護をうけてきた。
縁起によると、弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁6年(815)のころで、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置された。その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修められた。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。
本尊千手観世音菩薩を祀る国分寺の本堂(金堂)は、長宗我部元親が、永禄元年に再建。柿葺き、寄棟造りで外観は天平様式を伝え、内部の海老紅梁は土佐最古といわれ、室町時代の特色が見られて国の重要文化財に指定されている。また、仁王門は明暦元年(1655)、土佐2代藩主・山内忠義公の寄進で豪壮な二層造りである。
1250年余の面影を残す境内地は、全域が国の史蹟に指定され、杉苔が美しい庭園で「土佐の苔寺」ともいわれる。
コットンタイムでランチ
この日は、コットンタイムでランチ。
この店は女性が多い。
オーガニックでランチメニューが女性好み。
店から20mほど離れるが、駐車場が広いこともあるだろう。
国分寺のすぐそばなので、参拝する時に立ち寄ることが多い。
国分寺
国分寺の駐車場に移動。
史跡の看板。
梅がきれいだ。
この寺は以前来た時に梅がとてもきれいだったので、この季節に参拝に来たのだ。
山門。
きれいに掃除が行き届いていて、気持ちがいい。
境内は広い。
しかし以前は境内にも梅の木が多かったのだが、思いのほか少なくなっていて残念だ。
金堂は長宗我部元親が建てた物だ。
金堂の看板。
その脇に、大師堂がある。
境内を巡る
その他にも、境内には多くの祠がある。
酒断地蔵尊にも参拝したが、もちろん断酒するつもりはない(笑)
行基を祀る開山堂。
金堂の右側にある社務所に向かう。
ここの庭の方が、花が多かった。
散策
国分寺のとなりに、総社が鎮座している。
土佐の神社を順番に参拝していかなくてもいいように、ここに集めたそうだ。
こちらにも参拝する。
総社の先は、梅林だ。
とても香しい。
このあと、大日寺に向かう。
感想
国分寺は近いこともあり、年に何度か参拝している。
特に梅がきれいなので楽しみにしていたのだが、枯れたのだろうか、境内には少なくなっていた。
それでもすぐ先に梅林があって、そちらで十分に楽しめた。
この寺はいつ来ても掃除が行き届いていて、心も清々しくなりそうだ。
遍路でなくとも、ぜひ参拝してもらいたい。