上野城とは
上野城(うえのじょう)は、三重県伊賀市上野丸之内にある城だ。
白鳳城、伊賀上野城とも呼ばれる。
現在の復興天守閣は、当地選出の代議士、川崎克が多くの支援者の協力を得ながら私財を投じて藤堂氏の天守台に建てたものです。昭和7年(1932)に着工し、昭和10年(1935)10月18日に竣工しました。
木造三層の大天守と二層の小天守からなる複合式天守の”昭和の城”は、伊賀地域の文化と産業の振興の拠点として「伊賀文化産業城」と名付けられました。また、その優雅な姿から「白鳳城」とも呼ばれ伊賀のランドマークタワーとして市民に親しまれています。
三つの天守閣 – 伊賀上野城 から引用
伊賀上野城
三重県伊賀市上野丸之内106
0595-21-3148
白鳳門
2023年1月2日、この日は菅原神社(すがわらじんじゃ)にやってきた。
参拝の行列ができていたため初詣は後にして、まず上野城(うえのじょう)に向かうことにした。
通りに出ると、上野城(うえのじょう)が見えた。
伊賀鉄道伊賀線の上野市駅(うえのしえき)には、なんと「忍者市駅」という看板が付いていた(笑)
上野市駅
三重県伊賀市上野丸之内
伊賀鉄道の線路を渡る。
「ようこそ忍者市へ」と書かれているので、どうやら伊賀市役所のようだ。
交番もこのデザイン(笑)
グラウンドは上野西小学校。
「忍者」モードのおばあ(笑)
白鳳門(はくほうもん)まで歩いてきた。
三重県立上野高等学校と上野西小学校の塀はそれっぽく作られている。
高石垣
上野公園まで歩いてきた。
まず案内看板でルートを確認。
地図に載っている駐車場は有料らしい。
上野城は国の史跡名勝記念物に指定されている。
1585年に筒井定次(つついさだつぐ)が城を築いた。
1608年、伊予宇和島城から築城の名手とされる藤堂高虎(とうどうたかとら)が伊賀に入国し、現在の規模に拡張した。
「日本一、二の高さで有名な高石垣」と書かれている。
高さ30mあるそうだ。
大阪城と並ぶ高さだそうだ。
天守閣が見える。
川端康成から横光利一へ贈る言葉が刻まれている。
横光利一は上野に一人住まいし、旧制・三重県立第三中学校(今の上野高校)に通っていた時代もあったのですね。だから上野高校を見下ろせる場所にあるのだと納得しました。
終生の友人であった川端康成が、横光の死後、この碑が建立されるにあたり「若き 横光利一君 ここに 想ひ ここに 歌ひき」という碑文を贈っています。
柵がないので、とても危ない。
城代屋敷跡
現存する天守閣は、1935年に川崎克氏により建てられたものだ。
三層からなり、伊賀文化産業城とも呼ばれている。
天守閣の周りを一周してきた。
城代屋敷跡。
1612年に天守閣は倒壊した。
そのため城代がここで藩政をあずかっていた。
伊賀流忍者博物館
ここから忍者博物館に向けて歩いて行く。
土産物店があった。
伊賀流忍者博物館まで歩いてきた。
なんと「終了しました」だと(汗;)
「くノ一」おばあ(笑)
俳聖殿
俳聖殿(はいせいでん)まで歩いてきた。
松尾芭蕉の旅姿を模した外観だという。
松尾芭蕉生誕300年を記念する木造建築物だ。
2010年に国の重要文化財に指定された。
1942年に建築家伊東忠太の設計で建てられた。
内部には大伊賀焼の等身大の『芭蕉坐像』がある。
城山稲荷神社
城山稲荷神社に参拝する。
「忍ジャエール」だと(笑)
芭蕉翁記念館
芭蕉翁記念館は企画展のため休館中。
入館料は300円。
松尾芭蕉は、ここの出身だ。
俳聖 松尾芭蕉 ゆかりの地
生涯を旅に生きた俳聖 松尾芭蕉。紀行文「おくのほそ道」などで有名な芭蕉は、
この伊賀で生まれ、29歳まで過ごしました。
芭蕉 – 伊賀上野観光協会 から引用
帰路
上野公園の駐車場まで歩いてきた。
有料駐車場で、1回600円だった。
特徴的な建物は、だんじり会館。
伊賀上野のだんじりは、世界遺産に指定されている。
上野市駅まで戻ってきた。
松尾芭蕉の銅像だ。
新天地というアーケード街を通る。
1月2日なので閉店しているが、生きている商店街のようだ。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 161 m
最低点の標高: 150 m
累積標高(上り): 28 m
累積標高(下り): -29 m
総所要時間: 00:57:51