自膳工房れお
2021年5月8日、この日は自宅を車で出発し、自膳工房れおにやってきた。
ここでランチだ。
この日の日替わりランチは、赤魚のすだれだった。
デザートは、キンカンのタルトにした。
雪蹊寺
食事を終え、車で雪蹊寺にやってきた。
高福山高福院雪蹊寺(せっけいじ)は高知県高知市長浜(こうちけんこうちしながはま)にある臨済宗妙心寺派の寺だ。
四国八十八ヶ所霊場第33番札所で、本尊は薬師如来(やくしにょらい)
ここから梶ヶ浦渡船場、厳島神社、看護学校を経由して、雪蹊寺にもどってくる約6kmのコースを歩く。
最高点の標高: 57 m
最低点の標高: 2 m
累積標高(上り): 121 m
累積標高(下り): -119 m
総所要時間: 01:38:07
この日は土曜日なので、参拝者もチラホラ見かける。
本堂に参拝する。
次に大師堂に参拝。
秦神社
つづいて秦神社(はだじんじゃ)に向かう。
秦神社の祭神は、長宗我部元親(ちょうそがべもとちか)
明治初年の廃仏毀釈により、雪蹊寺が廃寺になったため、雪蹊寺に安置されていた元親の木像や、戸次川合戦戦死者の霊板などを御神体として創建された。『秦』の名は、長宗我部氏の先祖が「秦」姓であったことに由来するものである。この神社の社宝とされている「絹本著色長宗我部元親画像」は、国の重要文化財に指定されており、今日に伝わる唯一の元親の肖像画である。現在その肖像画は高知県立歴史民族資料館に寄託されており、複製画が一般公開されている。
秦神社 – 高知市公式ホームページ から引用
明治の廃仏毀釈で雪蹊寺が廃寺になったため、創建された。
もともと長宗我部の姓は「秦」だった。
そこから、秦神社の名が付いた。
この山の上に、長浜城があった。
拝殿。
戸次川の戦い(へつぎがわのたたかい)戦没者名標が建っていた。
この戦いで長宗我部元親の長男信親が戦死してしまった。
戦闘は12月12日の夕方から13日にかけて行われた[5]。先陣の仙石の部隊が不意を突かれて敗走したため、長宗我部軍の3千の兵が孤立し、島津方の新納大膳亮の5千の兵と戦闘状態になった。元親と信親らは乱戦の中で離ればなれになった。元親は乱戦の中で戦場を離脱することに成功し、そのまま九州をも脱出し、伊予国の日振島まで逃走した[6][7]。信親は中津留川原にて戦うが、鈴木大膳に討たれた[8]。享年22。信親に従っていた700人も討死し、十河も戦死し、鶴ヶ城も落城した[8]。
戸次川の戦い – Wikipedia から引用
イケメン(笑)
酔鯨酒造
参拝を終え、長浜の町を歩いて行く。
酔鯨酒造(すいげいしゅぞう)まで歩いてきた。
もともと長浜の酒だったが、2018年に土佐市に工場は移転した。
住宅地に立つ蔵は狭く、老朽化して製造量は限界だった。進化するには最高の環境での酒造りだと、土地を探す。すると山を背に川も近い土佐市の5000坪と出合う。杜氏たちと討議を重ね、最新鋭の精米機、蒸米機、放冷機、サーマルタンクを完備した新蔵が18年に竣工。蔵見学に対応し、カフェも併設。
宇賀神社
宇賀神社(うがじんじゃ)に参拝する。
祭神は、宇迦魂神(うかのみたまのかみ)
梶ヶ浦渡船場
港までやってきた。
梶ヶ浦渡船場(かじがうらとせんじょう)まで歩いてきた。
県道扱いなので、無料で乗船できる。
県営渡船は、一般県道弘岡下種崎線のうち、浦戸湾で隔てられた長浜地区の梶ヶ浦渡船場から三里地区種崎渡船場までの約600メートルをおよそ5分で結んでいます。人、自転車、125cc以下の自動二輪車が無料でご利用いただけます。
県営渡船 | 高知県庁ホームページ から引用
船が出航するようだ。
対岸の三里(みさと)の種崎渡船場(たねざきとせんじょう)まで約5分で結んでいる。
厳島神社
御畳瀬漁港(みませぎょこう)まで歩いてきた。
御畳瀬の地名は、よさこい節にも歌われている。
御畳瀬見せましょ 浦戸をあけて
月の名所は 桂浜
ヨサコイ ヨサコイ
よさこい祭り – よさこい節 から引用
厳島神社(いつくしまじんじゃ)に到着。
もともとはもっと海に入った狭島(さじま)という島に鎮座していたのを移設したそうだ。
この島と厳島社のことを地元では「狭島(さじま)さん」と呼んじょります。狭島ちゅうがは昭和30年代まで現在地の北東数百メートルの海上に浮かんじょった自然の島で、周囲僅か40~50メートルばかりの小さな島なので、”狭い島”と言う名がついたがらしいがですが、その昔「仲哀天皇」が巡幸の際、この島に桟橋を架けて風景を眺めた事から、古くは「桟島」とも呼ばれちょったとも記されているようながです。
当時の(昭和三十年代半ばまで)「狭島」には、現在の「狭島さん」に祀られている厳島神社があって、桟橋に建っていた鳥居から、二つ連なる太鼓橋が架かっちょったらしいがです。
拝殿。
本殿。
すぐ横は海だ。
看護学校
参拝を終え、国光トンネルを抜けて進む。
まだ5月上旬だが、既にジャングルのようになっている(汗;)
山の上に建物があり、高知県医師会看護専門学校だった。
街歩き
民家の庭の薔薇が、民家の範疇を遙かに超えていてビックリ。
ファミリーマートでエネルギーをチャージ。
とさでん交通のバスターミナルを通過。
雪蹊寺まで戻った。
最高点の標高: 57 m
最低点の標高: 2 m
累積標高(上り): 121 m
累積標高(下り): -119 m
総所要時間: 01:38:07