朝倉神社とは
朝倉神社(あさくらじんじゃ)は、高知県高知市朝倉(こうちけんこうちしあさくら)にある土佐国二宮だ。
祭神は、天津羽羽神 (あまつははがみ)、天豊財重日足姫天皇 (あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)
天津羽羽神の父は、天岩戸を動かした天石門別神だ。
当神社は沿革欄で詳しくご説明させて頂きますが、歴史的文化的に貴重な国指定の重要文化財であり、このホームページ以外にも多くの方々が自主的にサイトを開設して頂いておりますのでそれぞれご参照ください。 実地にご参拝頂けることもお願い申し上げまして神職からのご挨拶とさせて頂きます。
朝倉神社公式ホームページ – 宮司挨拶 から引用
すぐ近くにある赤鬼山(あかぎやま)には朝倉古墳があり、朝倉神社はこの赤鬼山をご神体とする。
JR朝倉駅から西北方約1km余にある。山の高さは約100mであって、きわめてかっこうのよい姿をしている。南からあるいは東から遠望してとくにその感じが強い。往昔日本人は山そのものを神として崇め祭ったといわれるが、赤鬼山もその通りであって、朝倉神社の御神体である。赤鬼山の南麓近くには高知県三大古墳の1つ朝倉古墳もあり、また朝倉神社は「土佐国風土記」(風土記逸文)に見える古い神社である。赤鬼山を中心に悠久の昔有力な氏族が成長したことと思われる。
創建は不詳とされるが、927年の『延喜式』神名帳に土佐国土佐郡に「朝倉神社」と記載されている古い神社だ。
丸亀製麺でランチ
この日は2021年2月5日、丸亀製麺土佐道路(まるがめせいめんとさどうろ)にやってきた。
ランチセットを頼んだ。
マイタケのフライとカキフライをつけた。
ツレは釜揚げうどんとちくわ天。
朝倉神社
今回のウォーキングは、朝倉神社からスタート。
本殿は1657年に建てられた国の重要文化財に指定されている立派なもので、現在修復工事中。
摂社にも参拝する。
朝倉神社は土佐国二宮だが、実はもう一つ土佐国二宮が存在する。
このあたり、実際はどうなのだろうか。
米田橋
参拝を終え、米田橋まで歩いてきた。
この付近には、大きな鯉がたくさん泳いでいる。
マルナカ
スーパーのマルナカまで歩いてきた。
ここの喫茶コーナーでコーヒーを買う予定だったのだが、新型コロナウイルスのせいで閉鎖中。
結局、自販機の缶コーヒーを購入。
山内神社
山内神社に参拝する。
以前は宝物館があったが、現在は新しくできた高知城歴史博物館に移された。
柳原
日本最古の沈下橋跡。
フランクチャンピオンの碑。
曲芸飛行中に墜落死したフランクチャンピオンを偲ぶ碑だが、この碑を建てたのが映画「鬼龍院花子の生涯」の鬼龍院政五郎のモデルになった鬼頭良之助だ。
月の瀬橋
月の瀬橋(つきのせばし)まで歩いてきた。
このたもとに鎮座する水天宮に参拝する。
おちよ地蔵
JRの高架近くに、おちよ地蔵がある。
洪水を鎮める生け贄になったおちよを弔うものだ。
「おちよ地蔵」の由来今から、百四十年ばかり前、朝倉堤は大雨のたびに崩壊し、朝倉や鴨部はひどい水害に悩まされていました。
ある年、水神様をしずめる為に、人柱をたてる事になり、お百姓さんの娘ちよに、白羽の矢がたちました。
ちよは十三歳の美しい娘で、母親と二人幸せに暮らしておりましたが、村人のたっての願いに、母親の面倒を見てもらうという約束で、人柱にたちました。
それから何年かの年月が過ぎ、村人達は、ちよとの約束も忘れ、やがて一人残された母親は、寂しく死んでいきました。
ある年の夏、大雨が降り鏡川の水があふれ、人々は大きな痛手を受けました。
誰ということなく『ちよのお母さんを放っておいた罰があたったんじゃ』ということになり、村人は二人の霊をなぐさめようと、母子二体の地蔵を千代ばねの見える石堤の上に建てました。
これが『ちよ地蔵』の由来です。
向かって右がお母さん、左が娘のちよです。
台石には寛永七年二月建立の銘が刻まれています。
母子地蔵は全国的にも大変珍しく、県内でもここ一ケ所だけだと言われています。
朝倉神社まで戻ってきた。
感想
いつ来ても気持ちのいい神社だ。
きれいに掃除されており、神域の雰囲気が漂っている。
現在は本殿が工事中で少し残念なので、完成したら参拝しに行こうと思う。
今回は12kmほどのウォーキングで高低差はほとんどなかった。
お天気が良く、気持ちのいい散歩になった。
最高点の標高: 82 m
最低点の標高: 4 m
累積標高(上り): 283 m
累積標高(下り): -264 m
総所要時間: 03:37:56