五社神社とは
五社神社とは、高知県高岡郡四万十町にある5つの神社だ。
総称として高岡神社という。
正式には仁井田明神といい、弘法大師により五社に分けられたことから地元では五社神社とか五社さんとか呼ばれている。
祭神は
・大日本根子彦太迩尊(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)(東大宮)
・磯城細姫命(しきのくわしひめのみこと)(今大神宮)
・大山祇命(おおやまづみのみこと)、吉備彦狭嶋命(きびのひこさしまのみこと)(中ノ宮)
・伊予二名洲小千命(いよのふたなしまのおちのみこと)(今宮)
・伊予天狭貫尊(いよのあまさぬきのみこと)(森ノ宮)
魚貴でランチ
この日は車で自宅を出発し、須崎市にある魚貴でランチをする。
立体交差の下に店があり、駐車場は3台分だ。
店内へ。
入り口すぐにトイレ、靴を脱いで上がる座敷だ。
宴会用の部屋に通される。
隣とはすのこで仕切られていた。
ランチは何種類可から選べる。
松花堂スタイルだ。
刺身定食はこんな感じ。
なかなかの美味でございました。
岩本寺
食後、車で窪川に向かう。
まずは、岩本寺へ。
ここはお気に入りのお寺で、何度も参拝に来ている。
駐車場に車を停め、山門へ。
花で美しく飾られていた。
まずは本堂に参拝。
ここの本尊は、5尊もある。
これは、五社神社の祭神だからだという。
・東大宮(一の宮):大日本根子彦太迩尊=不動明王
・今大神宮(二の宮):磯城細姫命=観世音菩薩
・中ノ宮(三の宮):大山祇命・吉備彦狭嶋命=阿弥陀如来
・今宮(四の宮):伊予二名洲小千命=薬師如来
・森ノ宮(五の宮・聖宮):伊予天狭貫尊=地蔵菩薩
五社神社の成り立ちが弘法大師ゆかりで、神仏習合の神社だからこそだろう。
境内ではお遍路さんを何人か見かけた。
大師堂にも参拝する。
散策開始
四万十町内にあるスーパーの駐車場に車を停めさせてもらい、散策開始。
古渓城跡の碑。
しばらく歩くと、案内看板があった。
随分くたびれているので、むしろビックリだ。
一応読めるので、これから向かう高岡神社を確認する。
四万十川まで出ると、川沿いに上流に向かう。
しばらくすると道は川から離れ、田んぼの中を通っていく。
神ノ西遺跡(こうのさいいせき)の碑を見つけた。
弥生時代の遺跡のようだ。
神ノ西
甲把瑞益は『仁井田之社鎮座傳記(1770年前後?)』で「〇神崎御瀧山 里人昔より五社御遊山所と云、今神の西(カウのサイ)瀧ト云。秦姓地検帳ニ神崎ト書けり。今按に、西の字を書るハサイハイキシチニの韻なれハ韻を借れるものなり。」と述べて「神ノ西」の由来を遠慮がちに述べている。
『窪川町 史蹟と文化財(p10)』でも甲把瑞益の説を引いて「神西は戦国時代には、五社の崎と言う意味から神崎(こうのさき)村と言ったが、「き」が「い」に転じて神西(こうのさい)と言うようになった」とある。
郷土史家の辻重憲さんも同じように高岡神社の先にある集落「神の先(崎)」と説明している(片岡雅文『土佐地名往来No591』)。
南路志(1813)の窪川村の項に「神崎村 枝村新開発地也」、「御瀧山 神崎今神西瀧ト云」とあることから、これを根拠に由来としたものだろう。それ以前の文献史料である長宗我部地検帳(1588)には蕨尾谷(現在の蕨谷。神ノ西から緑林公園に入る谷)のホノギとして「コウノサイ」、「コウノサイコエ」、「コウノ谷」があるのみで神崎村の記録はない。
さらに進むと、再び四万十川沿いの道となる。
このあたりは水深も浅く、流れも緩やかだ。
以前筏下りをした時に、浅瀬に乗り上げて苦労した地点だ。
のどかな田園風景が続く。
橋を渡る。
五社神社
ここまでくると、五社神社はすぐそこだ。
途中に駐車場が設置されていた。
まずは中ノ宮へ。
バス停もあり、五社神社の中心となる神社だ。
今大神宮へ。
石段の先に、拝殿がある。
その先には、トイレが整備されていた。
さらにその先が、東大宮だ。
ここの拝殿は、まだ新しそうだ。
由来書きがあった。
戻って、今宮へ。
森ノ宮にも参拝する。
兒安花神社
途中には、兒安花神社(こやすはなじんじゃ)もある。
安産の神、子供の守り神、縁結びの神として崇敬されている。
祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)だ。
兒安花神社
昔、高岡神社(五社様)の境内に小さな お社が有り、土佐には珍しいしだれ桜がありました。これが子安の宮と唄われた子安神社です。このしだれ桜は、豊臣秀吉が大仏殿の修復のため全国津々浦々に大木の献木を銘じ、土佐の長宗我部元親も命を受けて大木の伐採を行い、当社(高岡神社)でも最大といわれる高さ六十余メートルの大杉を、半山城主津野孫次郎親忠に伐採を命じました。
その後、切られた大木の根元は、大地鳴動と共に土中に埋没し、そのあとにぽつりと一本の桜の木がはえ、ある時いずれからともなく白髭の老翁が現われ、その桜を伏拝んでこういいました。
『ここに元あった大木は、神木であった。この桜はその木の精である。神の権化である。桜は嬰の木である。即ち子供の守護神であり、安産の神である。尊び崇め祀れ、必ずやごりやくがある霊験あらたかな神である。』
と言っていずことも無く立ち去った。それからは、誰言うこともなくその木を神として拝み、いかなる難産の婦人といえども、その桜の木の葉を護符とすると、不思議に安産したという。
しかしこの桜は山内家二代忠義公が、小倉少介政平に命じて五社の五つの社を造営した際、(慶安五年1651年)藩の武士や人夫が安産の御守りとして、土産に枝を折り、皮をはぎ持ち帰ったため桜は枯れ死してしまった。そこで里人はその桜の枝に小社を造り祀った。これが子安の宮の始である。
その宮のほとりに神主が新たに桜を植え後に美しい花を咲かせる大木となったが、これも昭和十四・五年に枯れ、現在社務所前に小木が植えられている。
以上が五社神木伝説として伝え継がれており、安産の守護神、子供の守り神様として、霊験あらたかな神と崇拝され、祈願の人、解願の人のお参りも多く、また縁結びの神様としても霊験あらたかと、近年若い男女のお参りも見られます。
帰路
参拝を終え、町に戻る。
橋を渡って、坂道を上がっていく。
峠を越えると、すぐに車を停めたスーパーだ。
夕飯の買い物をして、帰路についた。
感想
以前にも五社神社は参拝したことがあるのだが、弘法大師が5つに分社したという歴史があるとは知らなかった。
いつ来てもきれいに清掃されていて清々しい神社だ。
他にも五社神社という名の神社は各地にあるが、弘法大師ゆかりの神社と言うことで、霊験あらたかな気がする。
窪川に来たら、ぜひ立ち寄りたい。
最高点の標高: 225 m
最低点の標高: 189 m
累積標高(上り): 120 m
累積標高(下り): -104 m
総所要時間: 01:26:17