高知県立歴史民俗資料館 ⇒ 長宗我部元親の居城跡に建つ博物館

高知県立歴史民俗資料館

高知県立歴史民俗資料館とは

高知県立歴史民俗資料館(こうちけんりつれきしみんぞくしりょうかん)とは、高知県南国市岡豊町(こうちけんなんこくしおこうちょう)にある博物館だ。

この場所は長宗我部元親の本拠であった岡豊城があった場所で、主に長宗我部の資料を展示している。

常設展のご案内 / 高知県立歴史民俗資料館[Tel.088-862-2211]2010年4月10日に常設展示をリニューアルしました。2階には長宗我部氏について詳しく紹介する「長宗我部展示室」を新たに設け、3階総合展示室では展示資料を大幅に入れ替えて土佐の人々の歴史・文化・くらしを多角的に展示紹介しています。

常設展のご案内 / 高知県立歴史民俗資料館[Tel.088-862-2211]から引用

駐車場

この日は、ごはん処滝本でランチを済ませた。
https://niyodogawa.org/blog/outdoor/food/14968/

その後、車で高知県立歴史民俗資料館にやってきた。

駐車場は、とても広い。

周辺

案内看板。

正面の階段を上がるのが通常だが、近い方の階段を上がることにした。

自動販売機が置かれている。

階段を上がっていると、

張り紙があった。

岡豊城趾には現在は何もないので、有志が櫓を建てていた。

それが撤去されたことの、告知だった。

岡豊城跡に櫓が出現! 日本国内/高知特派員ブログ | 地球の歩き方岡豊城は、長宗我部氏の居城として築かれた山城で、13~14世紀頃に建立されたと考えられています。
その後、戦国武将として有名な長宗我部元親の代に長宗我部氏は飛躍を遂げ、念願の土佐統一を果たした後、四国統一を目前(所説あり)に羽柴秀吉に降伏。土佐一国のみを安堵され、他は没収されました。
戦国時代末期、居城を浦戸城に移した事で、長宗我部氏の拠点であった岡豊城は廃城となりました。
現在、城跡は国の史跡に指定されています。

岡豊城跡に櫓が出現! 日本国内/高知特派員ブログ | 地球の歩き方から引用

岡豊城趾に続く階段には、長宗我部の家紋の入った幟が並ぶ。

さらに、入り口前に長宗我部元親の銅像があった。

以前は無かったので、最近設置されたようだ。

若宮八幡宮の銅像よりは、だいぶ小ぶりだ。
https://niyodogawa.org/blog/outdoor/shrines-and-temples/temples/88kasho/3131/

建物は、こんな感じ。

城跡なので、景色がよい。

正面階段を見下ろす。

中庭。

館内

この先が入り口だ。

掲示板。

中に入る。

まずは入場料を支払う。

ロビーで土産物を販売している。

展示

館内は、撮影禁止だ。

2階の展示室で唯一撮影できるのが、この本陣。

そして3階の展示室は、撮影可だった。

このフロアの展示は、高知の歴史についてだ。

飽きさせない工夫が見て取れる。

砲術師の徳弘孝蔵の資料もあった。

徳弘孝蔵(董斎)邸跡 | 高知県の観光情報ガイド「よさこいネット」孝蔵は代々土佐藩の御持筒役を勤める家に生まれた。9歳の時には島田流砲術師範松木重右衛門に入門した。長じてからは、12代藩主豊資の命により高島流砲術の下曽根信敦のもとへ入門した。半年後には免許皆伝となり、土佐初の洋式砲術家となった。帰国後は、仁井田浜などで砲術の伝習を行い、多くの人の藩士が門人となった。孝蔵は南画にも優れており、薫斎の号で秀作を残している。武市半平太などは砲術・絵画両方の弟子だった。

徳弘孝蔵(董斎)邸跡 | 高知県の観光情報ガイド「よさこいネット」から引用

1階へ。

昭和のグッズが大量に展示されており、とても懐かしかった。

車で、高知県立埋蔵文化財センターに向かった。
https://niyodogawa.org/blog/outdoor/walking/kochi-walking/15019/

感想

見応え満点。

歴史好きなら、見逃せない場所だ。

この日は行かなかったが、岡豊城趾もすぐなので、散歩がてら訪れるのもいいだろう。

この付近は桜の名所でもあるで、特にその季節はおすすめだ。